TPPと農業
いよいよTPPの国会承認が近づいている。国会でのTPPに関する議論は一向に深まらないまま進んでいる。TPPは日本発祥のグローバル企業には恩恵がもたらされ、農業分野には大打撃を与えることになる。自由貿易という建前は耳に良いが、TPPは国家を超えた企業が勝手に国家の枠を超えるのに、都合がよくなるという事だ。日本の社会がグローバル企業の言いなりになるのがTPPだと思っておけばいい。資本主義も行き着くところまで来た。国家すら企業の配下になるだろう。企業が利益を上げることこそが国家の利益だと、アベ政権は主張するが、大きな方向として国の利益よりも、企業の利益が優先されてゆく時代に入るという事になる。企業栄えて国滅びるという結果になるだろう。現在農業分野が一番問題があるとは言われている。それは地方消滅に象徴される、日本社会の存立の危機を意味している。日本社会は利益目的で成立した組織ではない。
農業を現在続けている人の大半は、生計のためだけで農業をやって来た訳ではない。日本人の生き方として、ご先祖から受け継いだ田畑を子孫に残すことが日本人の生き方の美徳として数千年も続いたのだ。ご先祖に見守られて生きることを安心立命としてきた。そして子孫が未来永劫その地で暮らせるようにと願った。そうした日本人の生き方は資本主義によって失われつつある。むしろ日本社会はよくここまで東洋3000年の循環農業を継続してきたものだ。いよいよその息の根が止まるときが来た。それはTPPだけの問題ではない。経済性だけを価値観にした日本人の、あるいは人間の宿命のようなものなのだろう。「もったいない」は、平和賞の理念にもなったが、今失われそうな文化は「みっともない」のほうである。しばらく前の日本社会では、お金のことばかり言うのはみっともないことであった。みっともない生き方は出来なかった。守銭奴のような生き方はみっともなくて嫌だった日本人がいた。それが日本の農業をここまで継続した思いである。
自民党の農業改革は「農協改革」だそうだ。こんなことでは日本農業はどうにもならない。父小泉の郵政改革と、息子小泉の農協改革は、看板だけで本質から言えば的外れである。農協が無くなるのは構わない。しかし、日本農業が衰退する原因が農協にある訳ではない。企業がなぜ日本農業に参入しないのかと言えば、儲からないからである。補助金がある間はやる振りはする。しかし、本気で大資本が日本で農業をする訳がない。あるのは例外的なものだけだ。イオンが農業をやって、自分の店で販売するというのはあるだろう。それは特殊解である。特定の品目の、一部の事例に過ぎない。お米のような生産物はベトナムで生産して日本で販売するというのが大企業の考える生産性の向上である。工業製品でさえそうなったのに、人件費や気候条件が大きく左右する農業であれば、日本でやる企業があるとしても、優遇がある間のことだ。
国家というものが、企業の下の意思決定機関として位置するのだから、国家としての食糧安全保障など考えもしないのだろう。確かに経済の合理性で安い農産物を消費者が食べられるようになるのだから、それはそれでいい。その結果、さらに日本の地方社会が消滅してゆく流れだけは間違いがない。文化的に意味する日本社会が消滅してゆくという事でもある。若い人が農業を目指す場合は、自分生き方として目指すほかない。日本国内でプランテーション農業をやるなど馬鹿げている。唯一残されるのは特殊な伝統農業士の道である。それでもいいと割り切らざる得ないのが、拝金主義日本の進路選択なのだろう。せめて、国民全体がその事実を認識したうえで、TPPを選択してほしい。地方創生などという、具体策の全くない建前論にごまかされないでほしい。