トランプ現象の奥底
アメリカの大統領選挙は政策論議が深まらないまま、非難合戦で終わるようだ。この見苦しさが今のアメリカである。トランプほどひどい大統領候補は見たこともない。しかし、あのひどいトランプ氏が実はアメリカの本音を見せてくれている。そして、それは今起きている資本主義というものの限界を見せているのだと思う。アメリカンドリームが悪夢になったのだ。一部の成功者が世界の富を独り占めしてしまう現状。その富は国家という枠も超え、利益を求め合法的であれば、正義などものともせず、醜く立ちまわってゆく。国家というものが理念や目的意識をもって連帯するという事が失われた。資本主義自体が変質させられるような、拝金主義の登場である。お金という価値観が、すべての価値追越えてしまった。犯罪的な抜け穴であっても、税法的に合法であれば、お金の正義であってそこに罪悪感すら存在しない。トランプ氏はそうしたアメリカン悪夢の実像であった。
アメリカという国が、いかにも下品な拝金主義者を支持するとは思えなかったのだが、保守層を基盤とする共和党の大統領候補になり、大統領選でも拮抗した支持を集めている。問題はその理由である。大金持ちが正義であり、能力が高いという社会を意味しているのだろう。アメリカの正義の本音が良く見えた。世界一の大国家が拝金主義にまみれてゆく情けない姿をさらしている。倫理的な価値観というものが失われた社会がいち早く到来しているのではないか。アメリカのことを考えるよりも、日本の社会のそうした兆候の方に関心がある。つまり、アベ政権の中にある、トランプ的体質である。アベ政権は農業改革と言って、農協批判を展開している。農協の持っている企業的な弱点をあげつらう。農協のバインダー紐はネットで購入するより、5割も高い。これでは農業者を支える組織ではないのではないか。私も全く同感である。
農協に企業に成れというのは、正しい選択ではない。農協は農業者の協同組合に戻るべきなのだ。と言っても農業の方角がプランテーション農業であれば、農協にも企業的側面を明確にしろという事になる。儲かることだけをやり、農業者の組合的基盤を捨てろという事だ。農協は以前は盛んに技術指導をやっていた。今もその名残はある。先日も果樹の選定講習会の案内があった。教わりたいという思いはある。しかし、農協出荷していないものには、かかわりにくいものだ。また、有機農業でやる技術とは別物かもしれないという不安もある。化学肥料を使わない場合の果樹の生理はだいぶ異なるようなのだ。みかんを指示に従って剪定してみたら、弱って枯れてしまったことがある。いずれにしても神奈川県の農協は、企業としての側面からみれば、農業分野は止めた方が経営効率は上がるだろう。
日本という国家も企業化してトランプ的にならなければ、経営できないと言われているわけだ。とんでもない話だ。何故そうした拝金主義に、日本の倫理による歯止めがかからないのだろうか。私の子供の頃であれば、スポーツ選手がお金のために頑張るなどという事は、卑しいあさましい、みっともないことという感覚が残っていた。友人の兄が競輪選手だという事で、なんとなく恐れられる感覚があった。今の社会はスポーツ選手の賭博事件に対して、勝負に生きているので賭博に関心を持った。という事が弁解になるのだ。いつの間にかお金の為という事が正義になっているのだ。これはここ50年の驚くべき価値観の変化である。いまやそういう拝金主義にいかに巻き込まれないでやるかが重要である。近所の農家の人に田んぼをやっているのは金集めの為だと言われたことがある。それ以外の価値観があることすら、忘れ去られようとしている。