第18回 水彩人展近づく
水彩人出品作を選んでいる。ここ1年くらいの間に描いた絵が100枚ほどであった。その内、中判全紙のサイズの絵の中から里地里山を描いた24枚を選んでみた。それを写真に撮った。写真で見てみてみたかったのだ。別のことが見えるような気がした。そして、写真を見ながら選んでみたら、10枚ほど水彩人展に出したい絵が残った。それを、並べてみているのが上の写真である。もう2ヵ月も見ていて、呼ばれる絵があれば少しづつ描いて居る。この間新しい絵を描いて居ない。ただ、どの絵もその時は一応完成のつもりだった絵なので、よほどのことでなければ手を入れることはない。すでにどの絵も写真を撮ってあるので、そのまま絵葉書の制作に回すつもりぐらいの状態である。いつも写真を撮るときはうす曇りの日に撮影するのだが、今年は炎天下写真を撮ってみた。結構よく撮れていた。少し赤が強く出た。これは印刷の時に指示すれば治ると思う。
これはテーブルに並べた10枚の絵の写真である。回りの黒い枠は大きな平らな沓脱石である。もう少し白っぽい石なのに、なぜか黒く写っていて驚いたが、絵の方はそこそこの色に撮れている。3点出品するつもりなのだが、どの3点の組み合わせが良いかである。左下の立て絵2点並んでいるのが、欠ノ上田んぼの絵でどちらかを出すつもりだ。あとは篠窪を描いた絵である。冬から春の頃の絵だ。そのうちからどれか1点にしようと考えている。一点だけは田んぼの絵のすぐ上の絵なのだが、下田の庭の畑の絵がある。この絵は何か、気になるところがある。篠窪は一点にして下田の絵にすることになる。どの絵も畑の絵である。絵を描くときは畑をやっているような気持でと描いたものだ。車の中から描いたものだ。中判全紙くらいの大きさだと丁度車の中で描きやすい。
同じところを繰り返し描いている。こうして、結局のところ毎年97枚の絵が未発表になってゆく。そして私が死んでどの絵も消えるのだろうと思う。それでいいと言えばいいのだが。今年の100枚を見てみると、今までより自分の絵になったような気がした。そう思うと、昔描いた絵は参考というだけのものだ。これからもしかしたら自分の絵が描けるような気がしている。これは欲なのだろうか。田んぼや畑仕事をする目で描くという事が身についてきたような気がする。そう思って描いてきたのだが、絵がそうなるという事はなかなか至らなかった。それは農的な暮らしを底の方まで深く理解していないという事もあった。分かっていないことを描けるわけがない。いわゆる絵ではなくなってきたことに怖れが無くなった。自分が絵描きではなく、自給生活者であるという現実になじんだ。そういう事も一歩前進だと感じている。結局のところ、絵が表現であろうがあるまいが、描く人の問題なのだ。人まねから始まり絵を描いてきた。好きな絵をまねする喜びで絵を学んできた。やっとこさっと、そこを抜けつつある。
自分としては、自分の絵に到達できないような気がしていたが、諦めたら少し近づけた。やっぱり、諦めるが明らかにするという事。里地里山を描くという事を具体的に言えば、里地里山にあるムーブマンを描くという事になる。眼はすべての状況に動きというものをとらえる。里地里山の景色というものは、人間の暮らしが、自然との調和を改変せず、作り出した暮らしに基づく自然環境である。畑があれば、その動静が出来る。道があればその方角が産まれる。家があれば家という集中が起こる。里地里山特有のムーブマンがある。これをとらえようとしている。ムーブマンさえ捉えられれば、見えているすべてが捉えられるような気がしている。ムーブマンは色でもある。赤であるときと、青に変えた時では動きは全く異なる。線を引けば線の動きが産まれる。点を打てば点のリズムが生ずる。そうしたすべての材料が総合して、その場のムーブマンを生み出している。そのことに少しだけ近づけたような気のする、作品になった。