農業者の減少

   

農林水産省がこのほどまとめた16年農業構造動態調査によると、2月1日現在の農業就業人口は前年比8・3%減の192万2200人だった。

農業者の平均年齢は70歳を超え、1年間で8,3%の減少である。このままの減少を続けると、残り15年で農業者は居なくなる計算になる。これが、アベ政権の国際競争力のある農業政策の結果である。いまさらのことであるが、この結果は私の考える日本が消滅することを意味する。国家や民族は一定の文化を保持していて成立する。農業が無くなるという事は、日本の文化が消滅するという事と考えていいだろう。温暖化問題とか、ごみ問題とか、日本人の危機はさまざまに迫っているが、最初に起ることが、伝統的農業の消滅であり、日本文化の衰退という事のようだ。実はアベ政権はそれを目指している政権である。口先では美しい国、瑞穂の国日本を掲げたが、アベ政権の口にすることは、耳障りの良いだけのものである。むしろ、本音は日本文化を引きずらない日本である。世界企業の支配する、能力主義に特化した日本である。

多くの日本人がそれを望むようになったのだから、大勢はそこへ向かえばよい。私は相模原障碍者殺傷事件はその方角で起きた事件だと考えている。この殺人犯は確かにゆがんだ思想に頭を犯されたようだが、こうした思想を蔓延させたのは、アベ政権である。女性活躍などと口先では主張するが、その本音は女性を安手の労働力として使いたいが、本音だ。男女の賃金格差は現実である。同一労働同一賃金は下手をすると、職種別、能力給の徹底もありうる。そうでなければ、待機児童などという事がありうるわけがない。弱者は排除されても仕方がないというヒットラー思想に至る背景は、能力主義と競争の論理である。競争に勝たなければならない、一番にならなければならないという考えは、裏返せば2番手以降はいらないという事になる。優秀な人のアメリカンドリームの裏にあるものは、能力の劣るものは、その能力に応じた暮らしで仕方がないという考え方だ。人類が最後の差別となるであろう能力主義を克服できるかである。

15年先と言えば私が生きている可能性が高い時代だ。生きている間に日本に農業者が居なくなるという事である。日本には農業企業があり、そこの社員はいるだろう。それを望んでいるのが今の日本人の選択なのだろう。困ると思う人も居るだろうが、仕方がないとしているのだろう。こうした日本文化消滅の流れの中で、自分がどのように生きるかである。伝統農業士の資格が出来て、人間国宝の農業士が現れるのだろうか。いや、漆塗りや、歌舞伎よりも、入らないものとされるのだろうか。いずれにしても伝統農業は3%の農業者のさらに3%の、極めて特殊なものになることだろう。しかし、伝統農業の中の稲作というものが、日本人の暮らしを生み出していたという事は、厳然たる事実である。日本人が日本教の信者であったのは、伝統的稲作をしていた結果である。

本来であれば、教育の中でこのことは取り上げなければならない。英語教育をやるような時間があるなら、日本人が日本人であるための教育を行う必要がある。より地域に密着した日本人という資質こそ、世界で生きるための価値になる。その基盤である伝統農業が15年で消え去ろうとしている。

 

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