養鶏業を辞めて
養鶏を終わりにして、鶏に対する気持ちはかなり変わった。自分の興味は結局のところ自給にある。自給生活に鶏を飼うのはとてもいいという事。業としての養鶏とは、私の発想は初めから違っていたのかもしれない。山北で自給生活を目指して、開墾で暮らしていたころ、たまたま山の中まで、卵を買いに来てくれる人がいて、養鶏業が可能かもしれない、などと考えたのが始まりだった。日本鶏の人に、種卵や雛を販売するという事の方が柱だった。声良しなどの飼育困難な鶏をどうすれば飼えるかというので、様々飼育法や、餌の工夫をした。その関係で、あちこちの鶏を飼う人を訪ねながら、昔からの鶏の飼い方を知るようになった。たまたま、親戚に戦前から甲府で養鶏業をやっていた人がいて、子供の頃そこで見聞きし、話を聞いた。ある時、青年海外協力隊で行った人から、向こうでの鶏の必要性と、鶏の雛を購入することの難しさを聞いた。何とか自分で孵化できる鶏は居ないかと相談されたことが、自己作出鶏を考えるきっかけになった。日本鶏を利用した、自分で孵化できる品種の作出に挑戦してみようと考えた。
子供の頃から鶏種の作出と、鶏の飼い方には興味があった。優良系統の声良の種卵を取るという事がともかく難しく。試行錯誤をしてやっと有精卵が取れるようになり、近代養鶏とは全く違う鶏の飼い方があることを知った。化学薬品の代わりに、発酵を利用するという事になる。ところが化学薬品を使わないという事は、アニマル虐待に当たると家畜保健所から言われることになり、近代養鶏というものと伝統的な良い鶏の飼い方とはずいぶん違うものだと痛感した。この辺に、有機基準とは相容れないものがある。有機農業研究会での基準作りを見ていて、基準というものと、生き物を飼うという事はかけ離れたものだと感じるようになった。あえて発酵利用の自然養鶏というものを鶏の飼育方法としてまとめることも意味が有ると考えるようになった。自分の鶏種でやる養鶏法の記録を残した。自給的な鶏の飼い方が、1000羽くらいの規模までの養鶏業に利用できるという発想である。
自給生活の鶏に、社会的な意味はない。というのは普通だと思う。しかし、文明の危機を感じて自給を深めた。人類は能力競争を進め、格差を拡大し、武力主義に進むだろうと考えている。その時にもう一度自給生活を見直す必要が出てくる。しかし、自給は誰にでもできるというものでもない。鶏を飼う事すら、上手くできないはず。雛一つ自分で孵化できない。自給の技術は遠からず失われる技術。江戸時代日本で洗練された、里地里山の循環型の暮らしの掘り起こしは、人類の危機に必ず役立つことだと考えている。江戸時代鶏の餌はどうしていたかとなると、こんな当たり前のこと一つでもすでに消えてしまった。又そんなことに興味のある養鶏業の人がいるはずもない。同時に、日本鶏を趣味で飼う人も、激減してほぼ今ではその蓄積した知恵も消えた。日本人は鶏だけでなく、農業というものに興味を失おうとしている。大きな落とし穴が待っている気がする。
業として考えると、どこまで品質を落とすかという事になる。究極の鶏の飼い方という方向に進む性格。業としてではなく、自給生活にこそ鶏は有用な家畜だと考えている。ビル・ゲイツ財団がアフリカで一日2ドルで暮らせる運動というものに鶏で協力しているそうです。私の考えたようなことを、最先端の企業人も考えるのかと驚いた。但し、そこでも鶏種の問題は乗り越えていないようだ。ニューカスルのワクチンのこととか、鳥インフルエンザの問題とか。コマーシャル鶏と地鶏の違いとか、何か行き詰まりそうな要素があります。若い頃ならこういう運動に飛び込みたかった。鶏の居る暮らしが、自給生活の可能性を広げてくれるという発想は正しいと思う。また、アフリカで同じ志が進んでいるという事は救いを感じる。私の試みは失敗に終わったが、そういう事に協力できればよかった。少し遅かった。