公民館長終了

   

今はなくなった舟原最後のたばこの乾燥小屋、10年前の写真。

自治会長が終わって、この一年は公民館長を引き受けてきた。先日最後の久野ブロックの飲み会があった。行かないのはさすがにだめだと思い出かけた。連絡もないまま来ない人が何人もいて幹事の方が困っていた。公民館長は2度目の事である。ここ何年かで、ずいぶん変わっていた。前回よりだいぶ楽である。公民館長を引き受けてくれた人が、体調を崩しその後亡くなられた。とても気持ちの良い方で、母がけがをしたときお世話になった。お礼の気持ちもあり公民館長の役割を急遽引き継ぐことにした。最初のときは公民館活動とはどういうものかなど考えたのだが、今は、舟原地区では、公民館活動というものはほぼ行われていない。形式的な公民館館長と言ってもいいと思っている。公民館の管理を少しやるというぐらいのことであった。唯一夏祭りをやることが公民館の仕事であるが、これも以前に比べるとずいぶん簡単なものになった。前回は盆踊りの事前練習や子供会との連携も大変な仕事であった。

江戸時代には部落の寄り合いが、地域のとりまとめの組織として存在し重要な役割を果たしていた。明治政府もそれを上意下達の組織として利用した。戦時中は隣組組織として、挙国一致のために大活躍した。それもあって一度は占領軍アメリカは解散を命じた。それを各地域で再生して出来たのが昔とたいして違わない自治会の復活という事のようだ。今は小田原の地域の暮らしは変わった。盆踊りもやる人がほとんどいないという事なので、来年からはやらないことになった。私はいつも踊るのだが。夏祭りへの参加者も前回に比べれば半減していた。どの地域の活動も役員だけが参加するという感じのものになってきた。年に一度久野全体で体育祭があるのだが、これも選手集めで大いに苦労をする。参加したくない人が多くなっていて、各競技への参加をお願いに歩くことが大仕事になる。公民館活動となると、地域の民主的再生のために占領軍が推奨したものだ。生活改善クラブと同様の発想なのだろう。

自治会がないと困ることはあるのだろうか。公民館はほとんど無用化している。自治会のない自治体も全国にはある。だいぶ前からやめた方が良いと考えてきた。止めることで地域住民が本当に必要としているものが何かが見えてくるはずだ。そして、今の変化した暮らしに必要なものであれば、必要に応じて組織を作り直すべきだ。そうした自主的なものでなければ生きた活動にはならない。舟原では現在自治会費は公民館費を含め12000円である。この中には本来寄付行為であるべき、神山神社の費用や、赤十字、社会福祉団体の費用なども含まれている。また、上部自治会組織への上納金の様なものもある。役員報酬というものもある。公民館長は今年から5000円もらえるという事で、先日頂いた。役員だけで自治会活動は継続されていると言ってもいい。役員は順番で全員がやることになっている。どうしてもやらないという人がいないわけではないが。この先どうなることだろうか。

地域での私の公の役割はこの3月で終えることにした。この後は地域での役は申し訳ないが、何があっても引き受けない。必要な地域の仕事として、美しい久野里地里山協議会の仕事と、あしがら農の会の農地維持の仕事は、継続する。いわゆるテーマコミュニティである。自分が興味があり、やりたいという事で集まり地域活動を行う。これが本来だと思う。義務的な地域活動ではなく、やりたい活動である。70までは身体が動くつもりなので、出来る限り活動を継続する。自治会も公民館の活動も私の性分には合わなかった。しかし、この地域に暮らしている以上責任として、分担だけはやらしていただいた。やっとこさっと役割は果たしたと思っている。後は地域の農地を守る活動に力を注ぎたい。放棄農地の草刈りぐらいはしたい。そして何とかその農地を耕作する人を探す役割はしたい。それが私の舟原に暮らす役割だと思っている。

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