水彩人展近づく

   

写真撮影しているところ。これで絵葉書にした。

水彩人展は搬入日が9月21日だ。会期は9月27日から、10月5日までだ。絵はすでに額装を終わって箱にしまった。今回は車で東京都美術館に直接搬入する。今回は中判全紙3枚を出品する。小さい水彩画は手で持ち運べるサイズなので、今からでも興味のある人は参加できる。石垣島で描いたものから、3点を選んだ。同じ場所で描いた絵をあえて3点出した。何故、描くたびに絵が違うのかを考えたいと思っている。水彩人は公募展の形ではあるが、絵を描く仲間の研究の場だ。互いの絵を自由に議論できる場である。代表の絵だから、意見が言えないというような権威的な会ではまったくない。初出品の人でも自由に意見が言える環境を作ろうとしている。一度見てもらえばわかる事だと思う。権威的でない所が水彩人の良さだと思う。絵はそれぞれのものであり、比較するようなものでもない。それでも水彩人という展覧会として見えてくるものもある。並べてわかることも多いいものだ。良い意見を聞くことが出来て、一歩前進できるという場になっている。今年は絵を語る会を会場で、試験的に行おうと考えている。

最近他の公募展をあまり見ていないので、どんな状況になっているのか正確なところはわからない。ただ送られてくる雑誌などで、絵を想像して見てみると。50年前と同じような絵が並んでいるようだ。私には信じがたい絵がずらりとあるので驚かされる。巧みさを売りにしたような絵や創意工夫画が多く、作り絵が相変らず並んでいる。そういう絵が社会に対して何の役にも立たなかったのではないか。無くてもよかったのではないか。と私は考えている。芸術作品として社会に対して意味がないのであれば、装飾品としての意味で描いているのだろうか。絵の自慢げな表情が理解しがたいものだ。絵の世界が社会においては、変わっているにもかかわらず、なぜ絵の方は変わらないのだろうかと思う。変わらないから社会的な意味が消えたという事ではないか。指導している古い世代が、昔風の絵画観であいかわらず指導しているにちがいない。そしてそれを審査という形で選ぶ眼が古い絵のままだ。

絵を描いて居るという事は一人のことである。私絵画の時代に入っているのだ。絵を描いてそれで生計を立てようとか、絵を描いて有名になろうというような、あるいは社会に影響を与えようとか、明治的な立身出世を考えの時代は終わっている。日本にはもう有名画家という人は居なくなったのではないか。テレビに出ている絵描きというような存在はもういない。たまたまテレビで取り上げられる人も、まず一般の人は名前も知らない人である。世間的に知られている大家はちょっと私には思いつかない。横山大観や梅原龍三郎に比べれば別物と言わざる得ない。絵は職業という意味では別物になって、団体展がにぎわっている。情報過多の時代という事もある。いまさら手仕事でという事でもないのだろう。映像技術の様変わり。複製技術の進歩という事もある。ダビンチと並べてどうかという事になっている。絵画は社会共通のものというより、個人的なものに変化している。50年絵を描いてきての絵画の変貌だ。

水彩人は自分自身の絵の研究の為に作ったグループである。月例で絵を持ち寄り、研究会を開いていた。春日部洋先生を中心に集まっていた。そこから、銀座でグループ展を開くようになった。人が増えた。そして開催場所が閉じてしまいなくなった。そして開催場所を探し続けるうちに、東京都美術館にたどり着いた。東京都美術館では開催は団体展しかできないという規則があった。つまり、公募しない団体は会場の申し込みができないという事だった。そこで、会員を募集する団体という形で数回展覧会を変則的に行った。自分たちでは公募展のつもりは全くなかった。その頃新国立美術館が出来た。そして、そちらに移動する団体が多くあった。東京都美術館も改装し、新しい形で団体が新規に募集されることになった。そこで水彩人は団体展として正式に申し込み今に至る。しかし、絵を持ち寄り研究会をしていたころの原点を忘れてはない。今回、会場で公開で絵を語る会を行ってみるのもその続きである。自分にとって役立つ場にしたいと考えている。

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