自給農業の定義
舟原田んぼの奥にある、ネギ畑。境にあるトタンは猪除け。その奥に青い柵がある先に舟原溜池がある。
「自給農業」は自分の食糧を作る農業のことと定義できる。この言葉は中島正氏が本の題名として使った言葉だ。自給的農家という農水省の言葉と取り違えているうっかりの人がいると思われるので、確認をしてみたい。「的」とか「型」とかを加えるのは行政言葉の特徴でもある。自給的農業とか、自給型農業という場合、そうでない部分やそれに近い部分も含むという事になるのだろう。私は特別な意味合いで「自給農業」を使っているつもりはない。ごく普通に自分の食糧を作るための農業の意味で使っている。自給農業を否定的に感ずる意識が農業者にはあるかもしれない。遊び半分だから、許せない。生業として命がけでやっている自分とは違うという意識である。田んぼで笑っているというので、遊び半分だと怒られたことすらある。だから私は周辺農家より収量を上回るようにしている。農家でも目のある人は見ればどの程度農業であるかはわかるからだ。農薬を使わないでも化学肥料を使わないでも、収量で上回れば真剣に取り組んでいることが理解される。
自給農業は協働しなければその合理性が生かせない。一人の自給では限界がある。一人でやる人は、新規就農する人という事になる。新規就農する人は独立独歩の人が普通だ。一人の農業は手間暇ばかりかかり、合理的な作業にならない。その為に勤めながらの一人の自給は続けがたいのだろう。自給の為の田んぼであれば、1人分は1畝で良い。30坪だ。60キロのお米ができる。倍食べる人も居るとしても、2畝あれば十分だ。これを10人で2反の田んぼが出来れば、作業の手間は4分の1くらいに削減できる。この場合10人と言っても、3人分できる人も居れば、3分の1人前の人も居る。3人力の人が、3分の1の人を大切にできるかである。農業法人のような販売農家の形態や企業農業も協働も農業の一種である。一人の農業より合理性があるというのは当然で、農業も組織化されてゆく流れだろう。土地を所有している人たちも、本気で農業を継続しようという人は協働を、企業化を始めている。自分の所有地を協働で使えないという思いは、農地は資産である意識を捨てきれないことを意味しているのだろう。すでに農地が資産としての意味を失っている。
協働の為には、中心になる人が必要であろう。会社に社長がいるのと同じことだ。常にそういう人は登場するだろうとみている。現れなければこの方式が消えるのもよし、またどこかで始まるのもよし。別段、自給農業の普及活動をしている訳ではない。自分がやってみてより合理的な自給に進んでいる内にここに来ただけだ。ロシアでは農業生産のかなりの部分が自給農業である。この先どこに行くかもわからない。ただやってみてこんな合理的な方式はないとつくづく思えるだけのことだ。嘘偽りなく、人一人一日1時間百坪の自給は可能なのだ。その事実だけは記録し伝えたいと思っている。何時の時代もそこに立ち返れば生きて行ける。
普通の農家の人であれば、そんな馬鹿な。と思う事もわからないではない。その気持ちも養鶏業をやっていたのだから、十分理解できる。本当に身を粉にして、毎日働いても働いても終わらないのが、農家の仕事である。その状況に立ち、自給農業の為の時間を毎日記録した。そして、この数字が出てきたのだ。過去のページに日々の記録をこのブログにも書いておいた。技術というものの意味が大きい。田んぼでも技術のある人は同じ労力で数倍の収量を上げる。はざがけの棹を一人で建ててみればわかる。10人で10倍の面積のはざがけをやってみればわかる。竿は二人で立てれば簡単だが、一人では相当に厄介なことになる。もし途中で倒したとすれば、もう建て直すことは一人ではできないことさえある。
すごい能力の農業者もいる。そういう人にしてみれば、一人でやる方が良いと思う事だろう。しかし、自給農業は普通の人もやりたい場合がある。私のように歳をとり普通以下の人でも動ける間は続けたい。確かに今も農業をしている人はスーパーマンのような人が多いい。特別な人ではない普通の人間がどのように農業を支えればよいかを考えなくてはならない状況なのだ。それには協働するしかない。所が条件不利地域においては農業企業は手を出さない。市民の協働による自給農業を模索する以外に道はない。当たり前の考えだと思う。