日本の自然宗教 日本精神史

   

今、阿満利麿著の日本精神史を読んでいる。やっと半分くらいまで読んだ。途中で感想を書きたくなった。天皇と日本人問題が深く思考されている。私も何度も読んだ、堀田善衛の「方丈記私記」から話を展開している。なぜ日本人は天皇に戦争責任を求めなかったのかという事である。ドイツではヒットラーが戦争責任の中心にいる。日本では東条英機であり、天皇は埒外にいる普通ではない存在である。戦争責任とは、論理的ではなく距離を置いている存在。軍の独走にむしろ歯止めをかけようとしていたのが天皇であるという、珍解釈まで流布されている。現実はそんなことではなく、間違いなく日本は天皇を中心、天皇の命令に従い戦争を行った。それにもかかわらず、日本人は何故天皇に対して、ヒットラーに対する責任者批判ではなく、戦争に負けてしまい申し訳なかったという気持ちを持たされてしまったかである。天皇に責任をとれという世論は起きなかった。むしろ、天皇が戦犯から外されて、ホッとしたのではないか。責任を全面的に受けてくれた軍人の態度に安堵したのではなかろうか。

日本人は無宗教の人が多いいと言われている。一方で日本人は日本教の信者であるとも言われる。日本人にとって宗教とはいったい何を意味するのか。私は曹洞宗の僧侶であるのだから、間違いなく仏教徒である。同時、日本教の信者にも含まれている自覚がある。日本人は柳田国男氏が民俗学で示したように、近代化された明治時代においても、民族学や人類学の対象になるような、島国ゆえの原始から継続された原住民的な民族性を維持していた。それが柳田民俗学の誕生したゆえんだと思う。ヨーロッパではすでにそうした原住民的要素は薄まっていた。柳田国男は戦後、日本人がどのような精神構造で戦争に至ったのかを研究しなければならないという事を考えた。それをこれからの民俗学の主題にしなければならないという事を主張している。しかし、その学問の結果が示されたとまでは言えない。そこにある問題は天皇と日本人の関係に表れている。

天皇家にたいして何か自分のご先祖様に繋がるような存在、他人事ではない何かがあるのだろう。日本の神は普段は普通に暮らしている。神が降りて来て乗り移り神事を行うのが一般的である。神が降りてくるのは、一緒に暮らす人の場合と、外部からくる異人のこともある。常人がわざわざ、狐憑きやお犬様になろうという場合さえある。こうした感覚の中に日本の自然宗教がある。巨木信仰と近いものが、天皇信仰の一面にはある。山とか海とかに対する自然宗教的信仰が、根強く日本人の中に近年まで維持されてきた。そこに天皇という神ともいえない存在が3000年影響を与え続けたのではなかろうか。例えば、舟原には秋葉神社の小さな祠が、山の中にある。毎年自治会でひっそりとお祭りする。火伏の神様であるから、もし火事が出た時お参りしていなかったでは済まないという気持ちがある。災いを避けるために神社に村の鎮守にお参りする思いは、刻々薄れはしているが、完全に無くなったわけではない。その秋葉神社のお参りと、天皇の存在はまったく関係がないともいえない感覚がある。

漁師であれば、村の海を司る神社に豊漁と、漁の安全を祈ることは今も真剣に行われている。こうした日本人の習俗ともいえるものは、いわゆる宗派宗教とは別物である。村を守る神社と言っても教義がある訳ではない。自治会が行ったとしても、憲法で示す宗教とも言い切れない側面がある。村の鎮守は日本教の一面としか言いようのない、日本語を話すという事と同じような、民族特有の文化と考えられる。私は大半が農民である日本人は、こうした気持ちの根に東洋3000年の循環農業があるとかんがえている。未来永劫続く、続けなければ有利性のない農業の形態が、天皇家という耕作の技術を司る神官という立場で関係をしているのではないか。種まきをいつするかを、伊勢暦でおじいさんは決めていた。つい50年前の話である。伊勢神宮は農業者にとっては農業神なのだ。伊勢神宮の神主が天皇である。実際には少し複雑だがそう考えても間違いがない。MOAでは今でも種をお祭りするそうだ。こうした豊作を祈る気持ちと天皇家は繋がっている。(続ける)

日本精神史を読みながらの感想文の続きである。壁画であれ、仏像であれ、建築であれ、芸術、学問、宗教、法律までもが中国の最先端思想と技術によって、国の形が作られてきた国が日本である。その中心に存在し、中国文化に巻き込まれないような精神的安定を図った存在が天皇ではなかったのかという私の考え。天皇制は稲作文化に基づいた制度といえる。天皇家は水土の渡来技術を先進的に保持していた。稲作は水土技術がなければできない。しかも一定の権力の形成がなければ大きな土木工事は出来ない。水土を管理する技術は最先端技術であり、天皇家を中心とした集団が、管理運営をしていた。それ故に遣隋使遣唐使を含め、中国朝鮮からの渡来人が朝廷を技術者として支えていた。天皇という自然宗教神のような存在が、日本を維持するよすがであったのではなかろうか。最先端の技術を天皇を介して受け入れる様式の形成。

稲作を行う村々の鎮守に神社が作られはするが、あくまで、土俗的なアミニズム的な信仰が維持され、神道を宗教としてではなく、巨木信仰のように受け入れる。分かりやすく言えば、村の鎮守の大木への意識のようなものが、天皇という存在になる。身近な存在でもあり、永遠を思う遠い神が混同されていく。神社の巨木に戦争責任は問えない訳だ。ここにすり替えが起こり精神の安定が図られる。明治政府がこの天皇を、帝国主義の皇帝と位置付けたことで、天皇の意味が変質する。この天皇に対する見方は、堀田氏とも、阿満氏とも違う。正直私の考えている天皇像が正しい見方なのかどうかも自信がない。しかし、自分が田んぼをやってきた経験から、どうも技術というものはそういう事になるのではないかと考えるようになった。先端技術と宗教の関係を考えてみる必要がある。初期の宇宙飛行士が宗教家になるというようなことも、考える材料になるかもしれない。

日本人が豊かに心安寧に暮らすためには、最先端技術としての稲作を行う事が必要であった。その稲作技術が天皇家を介してもたらされることで、宗教にかかわり深い稲作が形成されていったのではないだろうか。現代でもMOAのように農業から宗教が生まれることがある。福岡氏や川口氏も極めて宗教的と言える。自然と一体化している農業が、日本人の生き方を支配していた時代があるのではないか。農業の中でも稲作は継続性という事が特に重要になる。3000年同じ場所で、自然耕作的に継続できる農業である。子孫に美田を残すために生きるという事になる。自分の田んぼを耕作してゆくという事は土を作っていることである。土は自分一代で結論が出ないようなものである。ご先祖様が土を作ってくれたから、今の自分が良い稲作ができるという実感の中で暮らすことができる。この舟原地区においても、1700年ごろに新田開発が行われ、人口が増加したとおもわれる。300年前の名前は知らないご先祖様が驚くべき程の努力の結果、作り出した田んぼを守り続けてきて今の自分の家族や暮らしがあるという意識が、日本人の村意識の根底にある。

それは近代日本国という国の成り立ちにも大きくかかわっている。問題になるのは明治期の日本が遅れた帝国主義国家として、必死近代国家を形成しようとしたときに、その日本人を天皇を中心とした、不思議な宗教国家ともいえるような不思議な形を作らされてしまったことになるのではなかろうか。日本の今の政治状況を考える上で、重要になる点はここにある。それまでの稲作神の様な天皇さんという村の鎮守の総まとめ的存在とは、隔絶する支配者としての帝王としての天皇の創出。これが現代の日本の保守思想を支配している。三島由紀夫氏、石原慎太郎氏ともに明治帝国主義の妄想家にしか見えない。安倍慎太郎氏は遅れてきた存在として、やはり同じに見える。こうした人たちに天皇家はゆがんだ明治期の天皇を期待されているのだ。日本人の精神史に大きな影響を与えてきた天皇の存在は、むしろ江戸時代の天皇家にあると考えるべきである。少なくとも、この2つの時代の天皇家を峻別して考えなければ、日本人の宗教は見えてこないように思う。(何かわけがわからないのだが、大切なことのようなので続ける。)

天皇の存在が日本の自然宗教を考える上で重要である。また、日本人の個の独立のない、お上に従う意識には、天皇の在り方が影響されているのも確かなようだ。私にはそのその意味でも修学院離宮を考えてみる必要があると考えている。修学院離宮は天皇家がもっともその意味を確認させられた、消滅の危機にさえさらされた時代に作られたものだ。日本の水土の理想郷を作ることで、その在り方を形として確認しようとしているのではなかろうか。それは、日本の3000年の循環農業の行き着く姿でもある。アジア学院というものが栃木にある。鶴川農村伝導神学校東南アジア科を母体とする。ここにおられた方で、アジア学院の成立にかかわった方がいる。小田原のキリスト教会の牧師さんであった。この方が農業を小田原でもやりたいというので、協力させてもらったことがある。その過程でアジア学院が作られたころの話を詳しくお聞きすることができた。やはり宗教的想いを根底に持つ一つの理想郷作りである。那須にあるアジア学院を訊ねて、その感想をより強く持った。

農業では考え方が具体的な農場の形に表れる。斜面を利用している。上部に宿舎を作り、そこで出るすべての排せつ物が、下の方の田んぼに流れ出てゆき、その施設から出るものは水以外はない形であった。修学院離宮も規模はさらに大きいが同じである。修学院離宮の形に江戸時代の天皇家の考えていたことを知ることができる。「17世紀中頃、後水尾上皇によって造営されたもので、上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた庭園として、我が国を代表するものです。」と宮内庁の説明にはある。しかし重要なことは田畑と離宮の関係である。上部の池からの水は下の田畑を潤すことになる。美しい日本庭園ではあるが、溜池でもある。借景には水田も取り入れられている。稲作における文化の側面。何処を天皇家が、日本人が目指すのかの、一つのかたちとして示そうとしたと考えられる。

後水尾天皇は戦国時代から徳川幕府が形成される時代を生きた天皇である。徳川家康という永遠の統治思想をもった権力者の前に、天皇家をどのような存在として維持するかを模索し、示したものが、修学院離宮ではないかと考える。徳川幕府は皇室に対して、尊重し利用してゆくという姿勢になる。家康は仏教を檀家制度という形で利用する。檀家制度が村という組織を強力なものに、日本人を固定する役割となる。深い政治感覚を有した家康は、日本人とは何かをよく理解していた。天皇や仏教を否定するよりも政治に介入させない位置に、止める方針を持ったのであろう。後水尾天皇は上皇になり85歳で死ぬまで天皇家の意味を修学院離宮という形でしめそうしたのではないか。日本を農的な文化によって治める中心となる存在であることを示そうとしたのではないかと考えている。日本人の精神史を考える上では、天皇と東洋3000年の稲作農業の存在がある。稲作は運命共同体を作る。

村という単位の水で繋がる単位を形成する。田んぼの中で生きるという事は、協力しなけば生きて行けないという事である。個人で独立して生きるという事は村八分を意味する。葬式と火事以外にはかかわらないという閉鎖社会。化けて出られると困る葬儀。火事で延焼したら困るときの消火。後はかかわりを断つ。稲作で生きる社会において、村八分になるという事は生存できないという事を意味する。いじめのようだが、暮らしの上で必要であるから行われた処罰制度である。これはムラ全員の賛成があるとき行われる。こうした生活形態から、逃げ場のない村という社会において、日本人が形成されてゆく。この逃げ場のない形は西欧的な封建社会を当てはめて考えると、違うと思う。どう違うのかも書きたいのだが、まだ本を読み終わらないまま、感想を書き続けている。

明治政府が日本人の精神世界を大きく変貌させた。廃仏毀釈と靖国神社である。まさに、イスラム国やタリバンの仕業と同じことを明治政府は行った。寺院を破壊し、仏像を燃やした地域まである。大量の僧侶が還俗させられた。神道を天皇を中心の国家宗教にしようとした為である。この問題は深刻なことで、安倍氏が突然語った美しい日本にまで影響している。安倍氏一派が靖国神社にこだわる姿は、明治政府の末裔のつもりだから。靖国神社というように神社の名前がついてはいるが、他の神社とは全く違うものと考えなくてはならない。日本人の自然宗教的なご先祖信仰を、国家が利用しようとしたものである。それぞれの家に於いて、ご先祖は神様になり、山に帰り自分たちを見守ってくれているという意識があった。それは稲作にを継続する暮らしでは、具体的な感謝であり、また自然の力への畏敬の念と自然災害から神の力で守られたいという気持ちである。

日本人の自然宗教を日本帝国主義成立の為に、利用しようとしたのが靖国神社である。近隣諸国が靖国神社を忌み嫌う理由はここにある。靖国神社では死んだ軍人が、神様になり日本を守ってくれるという意識を形成しようとした。村の鎮守の神様への信仰心は日本人の自然宗教と繋がる、原始に繋がるものだ。この意識を軍国主義に置き換えようとしたものが靖国神社である。ご先祖に見守られて生きる日々の安心感や生きる目的。この信条を国家というものに置き換えようというのが、靖国神社である。徳川家康が檀家制度を作り、仏教を葬式仏教に変え、すべての国民をお寺の下に置こうとしたことに繋がる。家康の奥深さは檀家制度を作りながら、村野神社に関しては否定をしない。ところが明治政府は靖国神社を作る一方で廃仏毀釈を敢行し、仏教と檀家制度を破壊しようとする。

しかし、死者という恐ろしいものを始末してくれて、預かってくれる有難いお寺さんから、日本人の心は離れることはなかった。これは現代の溢れてゆく墓地の存在を見ればわかる。墓地の管理人であるお寺の存在のいい加減さ。公営墓地の方が安くていいと言う程度の立場に今やお寺はある。土地に根差して生きていた、3000年の日本人の暮らしが、影響を与え作り出したものが日本の自然宗教である。中国から渡来した仏教は、奈良時代にも律令制度を支えるものとして、神社も国家宗教として、日本統治の制度に取り入れられる。しかし、その時代においては神社も仏教も死者との関係は薄い。死者を宗教的に弔うという事よりも、土俗的に死者を弔う事が日本人の心には納まりが良かった。沖縄の墳墓がチャンプル文化をよく表している。死者の弔い方には古い時代の薦骨の風俗を残す集まりのできる墳墓である。その沖縄式の墳墓の屋根の上に本土的なお墓の形を載せている。

読み進めているのだが、なかなかこの本の主題は、私には見えてこない。政府をお上と感じ、お上はそうひどいことはしないだろうという、論理を超えた従属意識の根源を探るという事だろうか。自然宗教というものは、絶対的な自然の力の前に生かされているという人類が共通に持つ、自然畏敬の念である。この人類共通の原初的な宗教間の影響というより、仏教的な思想を感じた。読みながら、金沢大学時代の出雲路暢良先生のことを思い出した。極めて論理的な思考であって、明解なようでありながら、結論に至らないのは生きるという事がそういう探求という事なのであろうか。出雲路先生の部屋で週一回集まりがあり、出席させてもらっていた。出席者が順番にその週にあったことを話すのだが、誰かの話から、先生は飛躍して自分の宗教観に入り込んでゆく。あの感じを思い出した。多分、著者阿満氏はどこかへ深い穴に入り込んでいる。その穴ぼこの深さが恐ろしい気がした。

日本精神史 阿満利麿 著を読んでの感想である。ずいぶん長いブログの文章になったのは、有権者がアベ政権を支持してしまう、今の政治状況をいろいろ考えながら読んでいたからなのかと思う。阿満氏は法然の絶対凡夫の思想というような考えから、日本人の自然宗教を否定しなければならないものと考えているようだ。日本人の中にある自然宗教の影響がアベ政権に従ってしまうお上意識にもなっている、と考えていいのかもしれない。そうかもしれないと思うが、むしろ日本の自然宗教というものは乗り越えると、言うような何とかなるものでなく、事実を確認すべき様なことと私は考えている。科学的に日本人を分析する上での要素という事である。日本人にはこうした自然宗教の民俗性がある。という形で分析する以外にないことだと思う。日本人が人と挨拶をするときに何故頭を下げるようになったのかというような歴史的分析、というようなことに近いことだと思う。

日本人はそうした民族性を深く自覚はしなくてはならないことは確かだ。しかし、それは否定するべきものというより、未来に生かす方法を考えなくてはならない性格のことだ。絵を描くときにより日本人に入り込むことこそ、世界にとって意味あるものになるのだと思う。日本人が宗教的ではない民族であるのは、良いことだと私は思っている。公明党が創価学会を背景に政治の分野で、ご都合主義の悪い動きをしている。アベ政権に対して、現世利益と引き換えにすべて従っているように見える。そうでないというなら、平和の党の安心とはどういうものなのか政策として示してもらいたいものだ。そして創価学会員は、教祖の言葉をどのように聞いているのだろうか。これが日本の自然宗教の影響だとは私には見えない。教祖の池田氏は平和主義者ではないと考えた方が良いのだろうか。こういう政治理念のない宗教の形が、民主主義に最も悪い影響を与える。日本の宗教が政治と関係してよかったことはない。日本人の民族性は政治と宗教と上手くかかわれない関係なのではなかろうか。

日本の宗教は戦争に加担した。その反省が不足している。それは自然宗教の影響というより、日本の宗教が既得権益団体化しているからだ。その教団の繫栄の為には、宗教としての教義すら、軽んじて恥じるところがない。自民党総裁が主張する憲法9条の改定に対して明確に教団として反対しているところはあるのだろうか。お上の意思を忖度するのが得意なのが宗教組織のように見えて仕方がない。法然や親鸞が提唱した浄土宗がどの宗教よりも、寺院も衣装も絢爛豪華である。日本人にはまれなほど派手な姿である。それが凡夫の姿というものなのだろうか。私は悟りを目指す曹洞宗の僧侶ではあるが、生涯凡夫だろうと思う。悟りなど開ける感じもない。しかし、自給に生きること、絵を描くという事を自分の道として、取り組み続けるつもりだ。それは悟りを開くためというのでなく、そうしたいという思いだけだ。

日本人は3000年の稲作農業を続けることで日本人を形成した。それが日本人の精神史の根本にある。このことを考えない限り日本人の精神史は明確にならないのではないだろうか。何故天皇が天皇として存在しているのか。この独特な近代国家を生んだ原因も見えてこないだろう。政府に従ってしまう日本人が形成された理由は、江戸幕府の統治手法と、明治帝国主義にあるのではないだろうか。1500年も学んだ仏教もそれほど精神史に影響があったとは思えない。日本人の自然宗教というべき体質が、こういう国を作り出した。神や仏は実は死んだ祖先のことでる。仏さまと言う言葉はむしろ死んだ人のことの印象が先である。お釈迦様でも阿弥陀仏でもない。ここに抜き差しならぬ日本人がいる。そして、稲作を止め、地域に根付いた暮らしが失われた現状。日本人の精神は危ういところに来ていることは間違いがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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