来館者と作品・アーチストのコミュニケーション

   

水彩人は研究会の開催と、年2回の作品の発表を設立以来続けてきた。8月1日から、横浜のギャラーセルテで、女流展と小品展を開催する。9月25日からは東京都美術館で第17回水彩人展を行う。水彩人は研究会として始まり、今後も水彩画の研究を深めることを会の目標として掲げている。発表することも水彩画の研究を深めることが目的である。透明水彩画は日本の自然環境に由来する、伝統的文化にふさわしい技法と考え、日本人らしい表現として、水彩人の水彩画の完成を目標にしている。しかし、美術学校の学科としては、いまだ水彩画は取り上げられていない。その研究も本画としての本格的な取り組みは、数少ない。下書きや、スケッチの、簡略な技法と考えられることがままある。しかし、水彩画を制作の中心に据えて取り組んできた水彩人の研究の中では、水彩画こそ、日本人的感性に適合していると考える。

また、この素朴でありながら奥深い多様な表現法は、現代の複雑化した美術状況を解きほぐす為の、原点から絵画を見直す方法としてふさわしいものに思える。水彩画こそ今後の美術の状況の展開において、重要になる手法ではないかと考えるに至った。そうした水彩画的な現代的状況を来館者とともに考えてゆきたいと考えて、展覧会を行ってきた。今後この試みを、発展して、「水彩人の水彩画とは何か」を展覧会の中で取り組みたいと思う。絵画が鑑賞対象としての意味から、制作すること自体の意味に変わり始めているのではないか。絵画表現が内向化する中で、水彩画の表現がどのように位置づけられるのか。紙と水が素朴に出会う表現の中に、人間の本質がどのように表現できる可能性があるか。まだまだ、日本的水彩画の研究は緒に就いたばかりであると、認識するところである。従来から言われる水彩画が即興的、情緒的表現であると限定的にとらえるのではなく、原初的な内部的な心情を反映する絵画として、日記的な、私絵画の表現でもあると考えられるところである。

そうした絵画制作の実際を、見てもらうことが水彩画の研究には不可欠と考えるようになった。その意味で、東京都美術館での展覧会の場が、制作の公開と観客との交流を行うことで、水彩の可能性が、いかにこれからのものであるかを、伝えてゆけるのではないかと、企画を計画しております。複数の作家が、一つのモチーフに対して、どのように反応し、絵画するものか。展覧会に出品している作品と、その場で制作する作品との関係。この違いと共通するところの意味を、来館者や他の作家、美術評論家を含め、語り合いたいと考えています。そうしたパフォーマンス的制作にも、水彩画は対応できる技法であると考えている。

従来もこうした試みは銀座の一枚の絵の展覧会の際には行ってきた。同じ対象をどのように制作するか比較したこともあった。しかし、出来上がった絵の意味を話し合うということはなかった。作品を発表するということだけでなく、人間が絵を描くということを問い直すことで、それぞれがなぜ絵を描いているのかということが、見えてくる可能性がある。私自身は出来上がった絵以上に、描くという行為に主眼を置いている。それは私が見るということがどういうことであるかである。そうした「私絵画」の一端が、展覧会を見に来る人に伝わるような展覧会ができないかと思う。

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