イスラム圏難民
ドイツに入国する難民は昨年の約20万人から4倍の約80万人に急増するらしい。最近このニュースは連日報道されるようになった。80万人の難民を受け入れるというドイツという国は立派な国である。第2次大戦でかけた迷惑を考えれば当然であると話した、受け入れNPOの代表の人の言葉が忘れられない。自国にいたユダヤ人を迫害し、殺害した数は100万人を超えるというから、今回の難民だけでもうその数を超えることになる。EUにおけるドイツの立ち位置と言えば、ギリシャが沖縄なら、ドイツは東京である。EUという仕組みの中では、おのずと強国ドイツが有利になってゆく。その結果、EUには南北問題が生まれている。経済の自由競争は今のままでは、格差を拡大してゆくだけになる。経済が国境を超えることで、戦争が出来なくなるという利点はある。グローバル資本主義がよくないというのでなく、野放図な自由競争がこのままでよいということではないだろう。
難民の多くは、イスラム諸国から移動するらしい。トルコなどからもかなりの人がドイツを目指しているようだ。これは、難民というより、移民という方が正確なめんもある。今回の難民はイスラム圏の国民を無視した、暴力の猛威が原因である。報道によるとシリアのアサド政権など、自国民の虐殺というような恐ろしいことを行っている。そのアサド政権すら、驚愕するような暴力主義がイスラム国の登場である。過去の尊い文化遺産を破壊して誇示するような国家に未来があるわけがない。遠く、アフガニスタンから、歩いてドイツを目指したという人もテレビに出ていた。アフガニスタンから歩けば大変な距離であるし、危険な道のりであることだろう。小さな子供を連れた家族が、祖国に住むことが出来なくなり、逃げ惑う姿はこれからのとてつもなく悪い時代を予感させる。イスラム圏の国家的規律が崩壊してしまったのは、石油なのだと思う。石油による経済格差がイスラム文化というものをゆがめて、反先進国的信条の強い、極端な宗教的な支配を求めることになってきたのではないか。
中国の経済崩壊が報道される。同時に軍事強化が言われる。この中国の軍事力の誇示は、主に国内向けである。政権周辺ですら安心できない国情である。汚職一掃というきれいごとの裏にある、権力闘争なのだと思う。儒教の建前主義が中国の汚職体質の表裏に存在して、それが中国の活力のようなものだったはずだ。中国の経済不況の発端も汚職一掃にあると、考えた通りの結果になってきている。清濁併せ呑むというような価値観と儒教の潔癖主義が、毛沢東末期には深刻化した。その再燃のような感じがする。あの権力誇示の姿は、権力闘争がどこかにあることを感じさせる。中国経済が崩壊することで、世界経済は大不況に陥る。この動きがすでにイスラム圏に連動している。日本以上にヨーロッパの打撃が大きいはずである。その時には、台湾、北朝鮮、韓国、ロシアという近隣諸国がが最も深刻なことになるだろう。アジアにおける難民ということはどうなるかである。
日本の役割を今から考えておくべきだ。日本の平和主義が役立つかどうかが、試される時が近づいている。ドイツの侵略戦争の反省から生まれた平和主義は、確かに今難民の受け入れで示されている。日本はどうだろうか。まずは、ヨーロッパの難民支援にできる限りの資金の提供を行わなくてはならない。これは明日のわが身であり、他人事とは考えるべきことではない。遠いい国のこととはいえ、すぐにでも難民支援を行ってもらいたい。この難民の背景にテロリズムの温床がある。テロを抑止することこそが、いま日本がおこなう集団安全保障であろう。対立を深めるのでなく、どのように悲惨な現状を救済するかである。日本は軍備を強化するどころではない。アメリカとの軍事同盟より、難民救済に日本が全力で当たることが、日本の安全を高めることになる。遠くの出来事としてではなく、日本も真剣に難民の受け入れ方法も考えなければならない事態に直面している。難民受け入れ船をギリシャに向けたらどうだろうか。