消費税軽減税率はお米で
消費税増税に関しては賛成である。消費税の軽減税率には2つの問題点が言われる。まず、何を軽減税率の対象にするのかで公平とは言えなくなる。もう一つが、税のシステムが煩雑になる。軽減税率の対象は少ない方がいい。税収不足を消費税で補うことはやむ得ないと考える。消費税が良いのは、生活するものならだれもが払うという点である。これは生活貧困者であれ、大富豪であれ、消費に応じて払わざる得ないものになり、免れることがまずない。不公平と言えばいえるのだが、所得税だけよりも公平とも言える。不公平という意味は10億円の年収入がある人が1億円消費することと、10万円の収入の人が1万円消費することが、同じ税率という点である。10万円しか所得がなければ、税金を払うどころか、生活保護ということになるのだろう。生活保護を受ける人なら、まだその点の補てんがされることになるだろう。すれすれの生活者には厳しい税制ということになる。そこで軽減税率を行う必要が言われることになる。
軽減税率については、煩雑だから駄目だという説もあるが、そもそも消費税の導入で、営業する側にとってはずいぶん煩雑になった。それでも税が増やす場合は煩雑をものともせず強行したのだ。税が減る軽減税制では、煩雑を理由にやめるべきというぐらいなら消費税を導入すべきでなかったのだ。そうはいっても、消費税をさらに値上げしなければ税が足りない以上、軽減税率をやるほかない。そこで煩雑でない消費税の導入である。消費税を10%にして、お米の消費税をなくすことだ。お米は誰でも同じ程度に食べる。お米だけ購入すれば食生活のかなりの部分をしのげる。そういえば、昔貧乏人は麦を食えと言った総理大臣がいたが、今は麦の方が本当は高い。学生のころはお米で暮らしていた。お金のある時に、お米だけは購入しておく。もやしの種は持っていた。もやしを栽培して卵だけを購入して食べていた。何とか病気にもならなかった。貧困生活は若い私にはある意味冒険で、しのぐことを楽しんでいた。
お米に消費税がなくなれば、お米の消費もいくらかは増えるかもしれない。お米を食べるということは、健康的でもあるし、日本の食文化の尊重でもある。しかもお米だけに消費税がないというのはわかりやすいし、比較的に煩雑でもない。このことは何度も書いた。それでも消費税を思い出すとまた書きたくなる。それは、稲作はどうしても日本に残さなければならないと思うからだ。私個人としては、自給的にしかお米を作らないから、関係のないことだが。稲作農家の減少を思うと、日本の根の部分が変わってしまうことを畏れる。田んぼというものが日本の自然の多様性を支えてきた。特に中山間地の田んぼと人の暮らしが、日本という国土を作り出したともいえる。こうした全体での田んぼの恩恵を考えれば、お米への税による優遇は間違っていない。
沖縄に行くと思うことだが。沖縄にはほとんど田んぼがない。サトウキビが作られるまでは、田んぼが可能なところはすべて田んぼだったのだ。これは沖縄農業振興政策によって、田んぼがほぼなくなってしまった。風景が変わった。この寂しさは限りないものがある。あのざわわさわわのサトウキビ畑の歌をおもうと、戦争中にサトウキビ畑は今の10分の1以下だったはずだ。田んぼの面積は明治末には9000ヘクタールあり、現在の沖縄の総農地面積が4万ヘクタールだから、いかに田んぼが多かったかがわかる。今はお米は農業産出額から言えば、1%にも満たない。そうなってみると、稲作農業で出来上がっていた村社会というものが、変化しているだろうことがわかる。水を取り巻いてつながる人間関係がなくなる。それは沖縄が先行しているのであって、日本全体がそうなりつつあるということだろう。それを良くないと考えるなら、単純にお米は消費税なしだ。