70年談話

   

70年談話をテレビで聞いた。長い談話であった。懇談会の報告書の歴史認識を受け継いだものだとしていた。評価できる談話だと思った。謝罪をするのかどうか、注目されていたわけだが、安倍氏自身が謝罪をしたというより、過去の総理大臣談話を受け継ぐという形なのだと思う。それは安倍氏自身が後の記者会見で述べたが、「個々の文章ではなく、談話全体から、思いを受け取ってもらいたい。」と発言していた。その通りだと思う。もしかしたら、この文章を書いた人は、能力の高い人だと思う。少し飾りが多く、内容が率直でないのは、国会の答弁と同じで、わかりにくいことも意図しているのだと思う。引っかかったのは、戦争とは関係のない世代、つまり自分のことなのだが、日本の歴史を背負っていかなければならないものなのかという、論点があった。女性に対する人権侵害のことは、2度繰り返されたようだった。

この談話はコロナの湯のテレビで見た。皆さんが真剣に見ていたのには驚かされたし、少し日本人を見直したような気分になった。無駄話をする人もなく、静かに見入っていた。70年たっても加害の歴史は重いものだと思う。戦略戦争をした謝罪と、反省から、談話全体が示した意味は、平和憲法に基づき、武力を持って、侵略を持って、戦争を持って、国際紛争の解決をしない決意である。積極的平和主義という言葉も出てきたが、いうこととやることが違うのは、安倍氏の常なることで、この文章は安倍氏の戯作者たちが練り上げたものだ。懇談会の委員も加わって書き上げたものかもしれない。あれもこれもという意見百出で文章が長くなったということがある。長くすれば細部が目立たなくなるというのもあるだろうが、結局は細部の話題になるのだろう。

安倍氏は集団安保法案が通りさえすれば、役割を全うできると考えているのだろう。それで総裁を継続して、いよいよ憲法改定ということを筋書きとしている。ところが、70年談話が心よりのものであれば、言葉として出てきた、武力を用いない国際紛争の解決とは、かけ離れたこの法案はどういうことになるのだろう。安倍氏の言葉である、美しい瑞穂の国日本と同じことで、安倍氏に対して談話を守れと言わざる得ないことになる。安倍氏の背後の戯作者たちは、どうも部門別のようだ。経済担当、外交担当、国政担当。そしてイメージ担当。全体の連絡が悪い。連携が悪いのは、統率者である安倍氏が戯作者たちを統括する気持ちでいるからではないか。安倍氏は企業の社長のようなつもりなのだろう。方角は自分が決めているつもりなのだろうが、実は方角を決めた人がいて、その人に総理大臣という役があてられたに過ぎない感じだ。

文章で改めて読んでみると、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」この決意は日本国の決意と受け取っていいとすれば、素晴らしいことである。誰がどう考えても、安保法案はいらないということだろう。「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。」まさにTPPはいらないということになる。自己矛盾を感じないのが、安倍氏の特徴ではある。中国を仮想敵国にして、今にも日本攻撃が始まるようなことをイメージ作戦している。これでは、70年談話の示すところはどうなるのだろう。自分の談話の意味、内容位いは、理解できるのだろう。

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