舟原納涼祭

   

舟原では7月25日の夜納涼祭が行われた。公民館が主催で行われている。今年は公民館長をしている。2回目なので、納涼祭の準備運営も2回目であった。たぶん全国各地で、それぞれの形で納涼祭が行われていることだろう。昔でいえば盆踊りである。60年前の山梨の山間の集落でも、盆踊りというものがあった。子供心には賑やかで盛大であった。屋台もいろいろ出ていた。やぐらが組まれ、それを何重にも取り巻いて踊っていた。舟原でも、昔は盆踊りだったのだろうが、私が初めて来たときには、納涼祭になっていた。その名称変更の理由は分からないが、他でも盆踊りとは言わないから、何か理由があるのだろう。越してきた当初は参加しずらい行事であった。加わることができなかった。いくつかの仲間内の輪があり、お酒を飲んでいた。越してきたばかりで知り合いがほとんどいない人間には、居ずらい空気があった。そんな空気は今もあるのだろうと思う。参加者は当時も多くはなかったが、今は役員以外の方はなかなか来てくれない納涼祭になっている。

盆踊りから納涼祭に変わり、祖先の供養の祭りという、地域の伝統行事の継続が難しくなっている。今も盛んに続いている全国の夏祭りは、一年一度の故郷を思い出し、ご先祖の生きた、地域とつながる日ということがあるのではないだろうか。故郷にそのまま居られるという人は数少ない。大半の人が故郷を離れ、都会暮らしということになっている。この夏祭りの日を機会に、実家に戻り、親の顔見て安心する日ということになっている地域もあるのではないだろうか。久しぶりに同級生と顔を会わし、近況を語り、飲み交わす。そんな同級会的機会なのかもしれない。舟原の夏祭りは、子供たちの楽しい場を作るということが主たる目的になってきているようだ。それは子供会の活動母体として生きているから、自然そのようになってきた。子供会は学校でのつながりもある。また若い人たちの多くの方が、新しくこの地域に移り住んだ人ということもある。舟原では幸い子供が増えてきている。

子供のゲームコーナーは、行列ができるほどにぎわっていた。運営している役員のお母さん方が、盛り上げるのがとても上手なのだ。20人くらいの子供がいただろうか。例年以上に生き生きとしていた。ここまで準備してくれたのは大変だったと思う。地域の行事に時間の避ける若い人たちも少ないと思われる。大きな負担になっているのでないかという心配もある。全体を企画している各組の模擬店と、子供たちの関係はどうなのだろうか。それでも、子供たちの喜んでいる姿を見ると、やっぱり夏祭りができて良かったとおもった。舟原には6組組み分けがる。各組15軒くらいの家がある。各組みから役員は3名出ている。そして自治会長と副自治会長。交通部会。公民館の正副。総勢23名の役員ということになる。子供会は3~5名くらいの人でやられていたように見えた。役員の人たちは各組子供会と独自に分担があり、それぞれの模擬店をある意味自主的に作り上げている。申し送りをしながらこの大変な作業をこなしている。

地域主催で行う、唯一の活動が納涼祭なのかもしれない。反省会では来年は、もう一度開催内容を見直し、子供がうまくかかわれる形の納涼祭を考えようということになった。自治会活動というものが、その実態を失う中で、毎年、どのように運営すればいいのか悩ましいところである。お祭りも花火大会も、大きな開催がすぐそばで全市的に行われている。そちらに出たほうがいいというのが、普通になってきている。薄れてきているとしても地域の住民のつながりを再確認するような活動も必要だという気持ちを持たれている人もいる。たぶん数年先には納涼祭自体を、どうしようかということになるのだろう。今はまだ、団塊の世代が中心に動いていて、子供のころの懐かしい盆踊りの記憶が残っている。あと5年すると、団塊の世代も70台になり、動けなくなるだろう。次の世代まで切れ目ができる。きっと次の世代の人が、その世代にあうように変えてくれるのだろう。

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