小田原で聞いた下地勇
小田原のダイナシティーで、沖縄フェスティバルがあった。沖縄ブームが小田原にも来ている。19、20日と一流の沖縄の唄者が、小田原で唄った。三線の響きが小田原の空間に広がるのは心地よい。19日も行くつもりだったのだが、岩本さんから、大量にネギの苗ももらってしまい。300本くらいあったようだ。これを植えることが優先になって、5時から、城 南海さんを聞いてみたかったのだが、行けなかった。奄美大島の方で、すごい唄の実力のある方だ。たぶん奄美の古典で培ったものがあるのだろうと想像していて、奄美の唄と、琉球の唄の感触の違いを一度聞いてみたいと思っていた。三線でもかなり異質な者の印象がある。この方が小田原で歌うだけでもすごいのだが、何と20日には、下地勇さんと上間綾乃さんという、沖縄の今を代表するといってもよい2人の唄者が来て唄ったたのだ。下地さんは古謝さんを聞きに行ったときに、聞かせていただき、びっくりさせてもらった人だ。
下地さんをどうびっくりと言って、表現が難しいのだが、宮古島の古語で歌う。それは宮古島の人にも聞き取れない唄も多いいということらしい。その表現法がアナーキーである。言葉の意味よりも、歌でありながら、言葉との境で音楽全体で伝えたいということか。突き抜けたエネルギーの人だ。唄を聞くということは、唄う人のエネルギーをもらうことだとよく分かった。エネルギーをもらうとは、癒されるとか、元気が出るとかいう、受身のものではない。今の自分を自己否定して、新たな自分の模索を始めろと、突き動かされることだ。下地さんの唄は、絵でいえば抽象画である。正確にいえば、パフォーマンスである。やり遂げつという姿の表現だ。それが宮古島の水土をから生まれた、叫びになっているのだ。一種の土俗である。そして、その土俗性が地球全体につながっている。ボサノバであったり、シャンソンであったり、チャドであり、ジプシーキングでもある。表現の本質を打ち抜いている。
それは古謝さんの歌でも感じるところだが、土地の文化に根差したものこそ、人類共通の文化になるということを再認識した。自分の生きている場を掘り下げる以外世界に連なることはできない。今の日本が世界に通用しなくなってきているのは、浅はかなグローバリズムというか、新自由主義経済の共通価値観のつまらなさにある。話がそれた。上間綾乃さんという、沖縄の今を代表するミュージシャンが唄った。生では初めて聞いた。改めてこれは沖縄の演歌なのだと思った。つまりメッセージソングである。人間の生き方をじかに伝えようとしている。明治の演歌が政権批判であったように、愛や恋の唄という、レベルの演歌でなく、本当の日々の暮らしに息づく、大切なところを伝えようとしている。日常の当たり前の暮らしの中にある何かに焦点を当てることで、その色合いを変え、その重要性を伝えようという魂が息づいている。「てぃんぐさぬ花」は、えも言われる、妙なる響きであった。普通の声で本当の思いが伝わるということを改めて思った。
二人の唄者の間に、やなわらばーという2人組の石垣出身の歌手が歌った。初めて聞いたのだが、ハーモニーを大切にしているようだった。とても上手ではあるが、私の好みのものではなかった。ところが、人気がある人たちのようで、一番人だかりが起きた。上間さんが終わってから来た人がいて、下地さんが始まる前に帰ってしまう人がたくさんいたのである。これにはもったくなくて、せめて下地さんを聞いてみてくれと押しとどめたくなった。私などは、何と1時から、7時30分まで、いつの間にか経ってしまった。6時間以上あの炎天に座っていたことになる。百姓で炎天下は鍛えている。それでもあとで手が真っ赤であった。唄というものに堪能した一日だった。それで思ったのはやはり、小田原で歌うということは、どこか地元で歌うのとは違う。下地さんも沖縄で歌った時と、かなり様子が違った。力が入っているというか。当たり前ではなかった。沖縄の唄を沖縄で聞くということのほうが、やはり面白い。宮古島の夏祭りで唄う下地さんを聞いてみたいものだ。