メダカ田んぼ

   

右側は水路で、左側が田植えの終わった田んぼである。水路が2本あるようにしか見えないが、一本が田んぼである。一番の手前道の下に入水管がある。現在は閉じてある。閉じてあっても、水は充分に湧いて、また浸透してくる。

今年はメダカ田んぼを引き受けている。小田原市の鬼柳境という所にある4畝ほどの実に細長い田んぼだ。都市計画道路が田んぼを切り取ってしまい。細長い田んぼになってしまったのだ。地主さんは田んぼを止めると言う事で、それも仕方が無いという事になっていたのだが、そこが小田原メダカのイロコイ生息地であった為に、何とか田んぼとして維持してもらえないかと依頼されたのだ。それであしがら農の会でお借りして、耕作しようと言う事でやってきた。多分今年で5年目くらいになるのではないか。最初の2年は私が引き受けてやっていた。その後2年間は、農の会の中で引き受けてくれていたのだが、昨年耕作を止めらてしまった。気がついた時には、もう田植えの時期を過ぎていて、一年放棄したのだ。この事では農の会として、メダカ生息地維持のために、田んぼを引き受けてきた責任を果たせなかったのだから、大変恥ずかしい失態であった。

中央が田んぼで、田植えの終わった苗が見える。左側は工事中の都市計画道路である。前には、前にやった時には稲を道路側の欄干に干していた。しかし、今度は農人の里の乾燥機が使わせてもらえるだろう。

この鬼柳、桑原地域周辺を最近、農人メダカの里という組織が耕作を広げている。組織として、お米の出荷もしているのだが、ただお米を販売するだけでは、限界があると言う事で、酒米を作ることを計画した。しかし、酒米はみなさん作った事がない。難しいといううわさもある。そこで、メダカ田んぼで作ってくれみてくないかという事になった。日本酒もいい物なので、興味はある。まあ、1度だけなら試みてもいいと思い引き受けた。条件として、借り手を現在のあしがら農の会から、メダカの里にして今後は田んぼの責任を持ってくれるなら、一年間立派な田んぼをやってめせるからと約束をした。実際この様な変則田んぼでは、機械でやることが難しく、手作業中心にならざる得ない。参加メンバーを募集したところ、2名の方が参加してくれた。さらに欠ノ上田んぼのメンバー3名の協力を得て、6名で田植えをした。5月27日朝8時~2時半までかかった。

土の状態が悪く、苗がぐらぐらである。すぐにソバカスを撒きたかったのだが、止めて置いた。苗が安定してから、ソバカスを撒く予定だ。

暑い日で、私はどうも熱中症にかかったようだ。家に帰ってから体調がおかしくなり、39度まで体温が上がり一日寝ていた。2つの田んぼをやるのはもう無理な体力ようだ。体力だけでなく、頭がダメである。欠ノ上田んぼをあれこれイメージトレーニングしている中に、メダカ田んぼが入るとごちゃごちゃになってしまう。何とか今年一年は責任を持って管理して次やる人に受け渡したいと思う。この田んぼの良さは冬季淡水が可能な点である。というか常に水が湧いていて、いつでも水がある。この特徴を生かした耕作をやる必要がある。山田錦の種籾をとると言う事で、20キロは農人メダカの方に必ず引き渡すという事になっている。目標としては、200キロの収穫である。25センチ間隔の1本か2本植えである。

山田錦は古い品種である。間違いなく丈が伸びやすくて倒れやすい。同時に、夏の夜温の高さが悪影響を与えるだろう。小田原には向かない品種と考えなければならない。初めてのことだし、肥料は出来る限り控えめにする。それから、土壌がとても腐敗気味の泥田なので、何度も転がす必要があるだろう。転がしを何度でもやることがいいはずだ。ソバカスは一度だけ蒔いて、終わりにしよう。

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