1、戦争のリスクをどう見るか。
安倍氏の国会所信表明によると、世界は戦争の危機が高まっているという分析である。同感である。そこで、アメリカとの軍事同盟を強化して、日本も対等に軍事的役割を担うと言う事を主張している。これが安保法制の憲法違反ではないかという、法律の改正である。日米同盟で戦争の脅威を削減できると主張している。一方の主張として、むしろアメリカの戦争に巻き込まれる可能性が高まり、日本の戦争のリスクは高まるのではないかという意見もある。この考え方の違いを考えて見たい。具体的に書くが、中国は軍事力の強化を進めている。それは、驚くほどの急激な速度の増強と、武力の革新を行っているようだ。しばらく前までは、日本と同レベルとみられていたが、現状では日本を追い越したと考えた方がいいだろう。勿論、軍事力の比較はそう簡単なことではないことはわかる。戦力1位の米国の軍事費は6120億ドル。2位のロシアの軍事費は760億ドル。3位の中国は軍事費が1260億ドル。10位日本としているものがあった。
中国は経済力を付けるに伴い、軍事的脅威としてのし上がっている。そして、世界への特にアジア地域での影響力を確保しようとしている。それに対して、アメリカと日本は同盟で対抗しようという意識が強い。韓国等は中国に接近することで、北朝鮮の軍事的不安に対抗する方針のようだ。それが戦争の危機ととなり合わせている国としては、背に腹は代えられない現実的な選択なのかもしれない。本心としては、韓国の中国への警戒感は日本以上に違いない。中国の軍事的脅威の対応は経済の問題と大きく関連している。中国はそれこそ大東亜共栄圏の統括者になろうとしているのだろう。本来大国でありたいという野望の強い国である。しかし、外国を武力支配しようとする性格の国でもない。経済の邪魔さえしなければ、攻めてくる事はない。中国との軍事的リスクを減らすためには、尖閣諸島を棚上げすることである。わざわざ石原氏が、棚から降ろした理由は日本の軍事化の為である。中国を脅威にすることで、平和憲法を自民党憲法に変えて、普通の軍事国家になろうと言う事だろう。
もう一つの戦争の脅威にはテロとの戦いがある。これには2つのタイプがある。犯罪者的テロ集団を取り締まるという意味と、自分の思想と相いれない集団をテロ集団と判断して、取り締まると言う事がある。テロを行う側には、それなりの理由はある。オウム集団でも、イスラム国でも、狂気に見えるが大真面目に正義の教義を主張している。世界歴史遺産の破壊行為など、全く許しがたい犯罪行為であるが、それさえもその集団の正義と主張している。近隣諸国の女性を略奪して、兵士にあてがう。これほどのひどい犯罪行為であっても、その集団では正義という事になる。異なる正義をどう調整できるのかである。たがいにかかわらないで、行けるかである。オウム集団を犯罪者集団として、監視するのは必要だ。しかし、現状の社会の異常さが生み出した、集団であるという認識も必要である。異なる価値観の国や、異常集団とどのようにかかわるかであって、軍事同盟の意味があるとは言えないだろう。
中国との対立は、経済問題の比重が大きい。日本が中国を後進国の安い労働力として、利用しようとした。そして、次段階では一気に所得が増す膨大な消費者として日本企業の利益対象としてみた。所が、中国自身が生産力を付け、日本の競争相手になってきた。それは韓国の躍進の脅威どころではなく、日本の経済が将来中国に埋没して行くという不安であろう。それは日本という国の不安ではなく、特に日本にいる世界企業の不安という事だろう。勿論この違いはある訳だが、ここの区切りが明確でないのが、安倍政権である。世界企業と日本国が一体のものとして考えている。企業はその時々の都合に合わせて、色分け、使い分けをしている。この日本国と、グローバル企業と呼ばれるものと、軍事力の関係が不明確なまま、海外にいる企業の活動をテロから守るために、日本の軍事力を使う為の同盟である。本来そうした費用は、その企業が出すべきものだろう。まだ途中だが長くなったので、あとは明日に続ける。