下田に描きに行く

   

いつもの下田に絵を描きに行く。春の海を描いてみたいと思った。海の色は季節によって変わる。何故下田によく行くのかと言えば、下田東急ホテルという所が、部屋から海が描けるからである。しかも、とても安く泊まれる案内が時々来るのだ。それでついつい行く事になる。もう一つは、ある地域のどの家の庭もとても面白いのだ。もう10回ほど描いたのではないか。また描かせてもらいたいと思って出掛ける。畑の庭である。実に美しいのだが、それが畑でもあるのだ。野菜農家の畑を美しいと思った事がない。工場を美しい絵とは思わない事に似ている。充実した暮らしが庭を見ればわかる。お婆さんがやられているのだそうだ。息子さんの話では、最近病気をされて、少し手入れが出来なくなっていると言われていたが、どうされただろうか。その家の庭だけでなく、下田でもそのあたりの地域の庭はとても美しいのだ。今頃の時期に行けば花であふれている。花と畑とを混在させているような暮らしというものが、下田にはある。

最初は都会からの移住者なのかと思っていたんだが、伺ってみると下田の地元の人たちが中心なのだそうだ。それ以上の事は分からないが、仕事は漁業関係の方々のようだ。魚港近辺にはもう狭くて住めないので、山の上の方の元畑があった場所にみんなで移住を始めているような感じである。だから、漁師さんの家庭菜園ということなのかもしれない。漁師さんは農家ではない自由人的な所がある。漁は天下の回りもの的な縛られない生き方である。船の上の規律というものは高いのだろうが、漁師の集落の農業に対する自由さの様なものはあるのではないか。小田原では草の茂った畑では怒られる。田んぼの水で繋がった、共同体とは違う気質である。だから家の作りも自由な感じが強くなる。それで最初は別荘なのかと思ったのだ。所が若い人たちがそこから通勤している様子で、地元の人達の集落なのだと分かった。のぞいている訳ではないのだが、絵を描かせてもらっているとそれとなく、様子が理解できる。

もう一つついでに書けば、農村では絵を描いていて邪魔にされる事が良くある。何を朝っぱらから遊んでいるんだと言う、怒りのエネルギーを感じる事がある。農家は忙しくて、気難しい。しかし、漁村ではそういう事は全くない。誰が何をしていようが知ったこっちゃないと、人を意識しないでくれる。どんどん薄れている違いではあるが、まだ確かに残っている。その庭をまた描かせてもらった。ちょっといい感じに進んでいる。次の日も描き続けようとしたのだが、その日は家に人がおられたので止めにした。描かせてもらう事はお願いしてあるのだが、やはり、他人が人の家の庭を眺めているのでは、気になるものだろう。そこで、また海を描いた。春の海である。春の海の色を描こうと考えていたのだが、もう下田の海は夏の海であった。ハワイの海の様だった。と言ってハワイには行った事がないので想像だけだが、楽園的な明るさがあった。まさにエメラルドグリーンの海をコバルトグリーンで塗った。

岬の木々のうっそうとした様子も、すごい生命のエネルギーがあふれている。小田原から遠くない地点であるのに、山の様子が全く違っている。下田は縄文時代から開けた所だ。人間が暮らすにはこれ以上の場所はない。天然の良港という意味そのままである。多分縄文人は丘の上に暮らして、海まで降りては食べ物を探したのだろう。そういう最適な小高い平地が丘の上にある。丘の上の庭を描いているのだが、そこにある暮らしというものを見ている。野菜と、草花が、場当たり的に植えれて、自由な調和を見せている美しさ。何処かで見た記憶があるのはボナールの庭である。ボナールの庭にある美しさは、暮らしを感じさせない天国的美の世界である。下田の庭はそれに加えて、人間の暮らしに繋がる、土がある。土がはぐくまれている。そういう色の土を描きたいと思った。

 - 水彩画