水彩紙について
水彩画材料で最も重要な物は、紙である。私は大半の絵をファブリアーノの半手漉きの紙で描いている。水彩紙の中で最も厚い紙である。この厚さが軽やかな色調に大いに影響をしている。水の浸透の違いで、微妙な色の変化が表れる。この紙は、20年ほど前に紙質が変わった。理由は水彩紙の原材料となるラグの輸入がイタリアで出来なくなったせいだと言う事だった。その時はユーゴスラビアの戦争の為だと言われた。この先紙の良い原料である、純粋な綿布の古布はなくなるだろうと言われていた。そこでその時点で、世界中に出回っている、ロット番号で古い紙の在庫をすべて買い占めた。紙は今後値上がりを続けるだろうし、今集めなくては今後この紙は手に入らないと予測された。おかげで毎日1枚描いたとしても、100歳まで描き続けるファブリアーノの紙を持っている。保存はハトロン紙で密封し、桐のタンスにしまってある。紙は良い保存をしておけば、時間が経つほど描きやすいものになる。ドウサが安定すると言う事だろう。漉かれた繊維が落ち着き、なじむと言う事もある。
自分の描きやすい紙を見つける事が、自分の絵に至る第1歩である。所が、偶然始めた紙だけを生涯使う人が意外に多い。中にはカレンダーの裏に良い絵を描くと言う人もいる。たまたまそういう事がある可能性もあるが、出来る限り良い紙に自分の未来は託すべきだ。絵を描くと言う事は模索し、探求して行くという事になる。模索をする土台となる紙は、幅広い可能性を持ったものでなければならない。例えば色つきの紙が描きやすいと言うので、グレーの紙を自分の紙とすれば、その場では成果が出るかもしれないが、将来にわたってグレーの紙に自分の世界を制限される事になる。絵を描くと言う事は画面で試行錯誤をする事だから、大抵の障害は何とか乗り越えたように感ずるだろう。所が取り組んだ紙がグレーであれば、その影響下に自分の絵がある事は永遠に避けられないだろう。
これがグレーだから分かりやすいが、実は水彩紙のなかには、可能性が狭い紙も多数存在するのだ。例えば、和紙を水彩画に使うと、曖昧模糊として、日本的情緒とでもいう、雰囲気の中に取り込まれる事が多々ある。和紙の持つ傾向が、水墨画的な情緒を絵に与える事になる。その為にとても面白い絵になる事もあるのだが、それにはまり込むと、自分と言う物の世界が限定されてしまう。絵画が自己世界の探求であると考えれば、良い調子が出てしまうと言う事が、大きな制限にもなる。水彩紙と名付けられた紙でも同じ事で、制作者が自分の世界を自由に、十二分に探求できる紙と言うものは、案外に限られている。この点、良い水彩紙はそうした幅広い表現を可能にするものである。私にとってファブリアーノは天啓の紙であった。表現の範囲が実に広いのである。あらゆる水彩画の表現に対応する紙なのだ。薄い着彩が正確に表現できるし、何度もの塗り重ね、洗い出す事も可能な紙なのだ。この表現幅が最大限である紙に出逢えた事が、自分が生涯の幸運だと思う。
具体的にファブリアーノの特徴と言えば、筆触が正確に出ると言う事。水の吸い込みの幅があると言う事。紙の傷みが少ないという事。微妙な色調の違いを表現できるという事があげられるだろう。2番目に使うのが、インドの水彩紙である。この紙はとても荒い野性的な紙であるが、材料のラグ自体がとても良質である。その為に発色が良い。地肌は乱れていて、使い勝手は悪いのであるが、色調的はファブリアーノに次いでいい。3番目に使うのがアルシュの手漉きの紙である。紙目の細かいものを使いたいときには、この紙を使う。少しドウサが強く、ある程度進めないと自分の色調になりにくい所がある。いずれにしても描き始めてしまえば、紙の事等忘れられる紙が最良の紙である。