再生可能エネルギー

   

家の屋根に付けた、ソーラー発電は10年になる。山に作ったソーラーは1年がたつ。最近小田原でも中規模なソーラー発電が目立つようだ。善悪様々な意見がある事は承知しているが、原発よりいいことだと思う。再生エネルギーへの転換が世界では進んでいる。日本はこの分野では遅れ始めている。米ニューヨークに本社を置く投資銀行ラザードが11月に公表したエネルギーのコスト分析によると、太陽光発電は1キロワット時当たり5.6セント(約6.5円)という価格まで落ちている。風力に至っては1.4セント(約1.6円)である。それに比べて、これまで安いと言われていた天然ガスは6.1セント(約7.1円)、石炭は6.6セント(約7.7円)で、ラザードの数字だけを見る限り、コストの逆転現象が起きている。

再生エネルギーは技術の問題だから、年々技術革新がなされて、生産コストが下がって行くのは、予測されることである。昨年は、化石エネルギーが割高になるという、大きな転換の年であったのだ。所が、日本では電力会社がいまだに、過去の亡霊にしがみついていて、新しい発想に転換できないでいる。原子力発電所の再稼働をどれだけ嫌がられてもやろうという背景にある物は、過去の成功体験に戻りたいという、後ろ向きな気持ちが、日本を支配しているからだろう。エネルギー分野の大きな潮流は、変わったと考えなければならない。これは本来日本のように、化石燃料を輸入に頼る国にとっては朗報のはずだ。所が、日本社会が既得権益にしがみつき、大胆な進路変更が出来ない状況に陥っている。この点理由がよく私には理解できない。政府の大企業という既得権に相乗りして、日本経済の再生を図ろうという舵取りに由来しているのだろうか。蓄電池の技術革新に問題があるという記事を読んだが、どういう事かよく分からない。

経済の第3の矢は、様々な経済分野の規制を撤廃して、民間の自由に競争が起こる、と言う事をいまでも首相官邸のホームページには掲げられている。既得権たる大企業依存と、新しい民間の活力とのせめぎ合いはどうなるというのだろう。少なくとも原発事故後の日本は、官民挙げて、脱原子力、再生エネルギー国家への脱皮のチャンスだった。所が世界の潮流に既に乗り遅れかかっている。再生エネルギーと言う、技術でエネルギー生産が出来るという、日本にとってまたとない産業分野の創出に対して、何故、日本人は転換出来ないでいるのだろうか。世界は昨年すでに大きな方向が変わり始めている。乗り遅れた、日本人に能力がないという事ではないと思う。原発事故の受け止め方によって、違ったのではないだろうか。日本は当事者として、あまりに大きな負の遺産を次世代に残してしまった。冷静に原発を判断することができないという、ジレンマに政府、電力会社が落ち込んでいるのではないか。

昨年の世界では中東産油国が、アメリカという新産油国に対して、ぶつかり合いを始めている。それが原油価格の暴落につながり、原子力発電が格安エネルギーと言う、暴論もさすがに政府すら発言しなくなった。原発が一機も動かなくとも、節電など言わなくなった。本音では電力消費を増やしてほしいのだ。世界が原油価格戦争になっているのは、化石燃料があがれば、益々、再生可能エネルギーにシフトが進むからである。こちらは一度設置されてしまえば、生産コストはほとんど要らない。しかも年々技術革新が進む。結局いつかは変わらざる得ない事だ。日本政府はどうしてか、この日本の為に最も必要な転換を計れないで、相変わらず原発輸出まで主張している。過去を間違えとして、清算して、やりなおすという事は、官僚が一番苦手な事だ。これがお利口さんのばかの壁ではないだろうか。

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