謹賀新年2015

   

2015年 正月元旦

2015年の始まりである。自分が踏み込む次の時代を感ずる。不思議に高まる気持ちがある。今までの65年が準備段階だったとすれば、直接向かうべき場面がきた。絵の事ではあるのだが、生きるということであるし、暮らしと言うものの実際でもある。やってきた事の方角が間違っていなかったとすれば、これからが結論を出す時なのだろうと思う。幸い、65年を無事生きてこれた。大病もせず、健康そのものである。私の生命と言うものに課せられた予定には、ここまでの幸運というものは組み込まれていたようだ。この後の少なくとも、15年が絵を結論として描くべき時なのだと思っている。心機一転の気迫で、今年を絵を描いて行く元年にする。

昨年は稲作では、久野の棚田で畝取りができた。手植えの自然農法としては、一定の完成された農法を見たと思われる。稲作では、具体的な結果の数字があるので、到達点が分かりやすい。今後はこれをどう継続できるかという事になる。山の畑の大豆づくりでも、方向は見えてきたと思う。水田跡とは違う難しさがある。やはり大豆は、水のコントロールではないか。花が咲くころに充分水が無ければ、収量が上がらないのではないか。作物学で言えば、水がないと根からの肥料吸収が充分に出来着ないという事なのだろう。来年は1反300キロ目指して、もう一努力である。麦作りでは今苦労しているのが、パン小麦の作り方である。品種と言う事もある気がしているが、製粉と言う事にも重要な要素があるようだ。今年こそ製粉の課題を突破して行きたい。野菜については、最近はそこそこできるようになってきた。作り始めて5年が経過した畑では、やっと土が出来てきたようだ。野菜がそれなりの、連なりでできるようになってきた。

水彩人では今年から事務所を担当する。水彩人が公募展であるにもかかわらず、研究を目的にした団体であるという事に、向かい合いたいと考えている。展覧会を開催する事も、重要な役割ではあるが、むしろ、参加者が本当の意味で研究しあえる組織になれるかである。当初の設立の理念に戻ることだ。水彩画と言う可能性に満ちた技法が、未だ美術大学では正式な学科すらない。水彩という素材の魅力がまだ一般化していない。それは、水彩画という手法による本格的な制作が少ないからだと思う。水彩画は日本人の芸術観に最も向いている素材だと考えている。紙に水と水彩絵の具で素朴に描く事で、絵を描くという面白さと奥深さに、出会う事が出来る。水彩人がそいう場になるよう努力して行きたい。

これからは、義理を欠く暮らしに入ろうと思っている。さらにやりたい事以外をやらないで通したいと思っている。とんでもない奴だと思われても、良いと決める事にした。もう自分の為だけで行くしかない。今までも相当好き勝手にやってきたわけだが、さらに徹底する。頼まれごとは一切受けない。不要な事に時間を費やさない。多分あと一年くらいは、今までの行きがかりもあるので、徹底はできない事もあるかもしれないが、今年をその為の準備の年とする。昨年末、人間ドックを申し込んでいながら、キャンセルしてしまった。改めて申し込みをして、今年こそ受信したい。

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