朝日新聞社批判
山北の斜面の畑 6号
「売国のDNA・国を売った・報道被害者・売国虚報・反日報道・国辱責任」日本の雑誌の朝日新聞批判の言葉である。毎日新聞がその言葉の汚さを批判している。こんな言葉を使う人達は、言論人とはとても言えない。雑誌記者には朝日新聞の記者にコンプレックスがあるのではなかろうか。入社試験にでも落ちでたのではなかろうか。相手を貶めればそれで良しという言葉である。言葉の判別もつかない人間が雑誌社の中に存在するのだろう。またそれは、そういう汚い言葉の標語に飛びつく、読者が存在するということだ。売れればよしとする雑誌社としてはより汚い言葉で、罵倒すれば売り上げが伸びると言うことに過ぎないのかもしれない。読者に対する、あざとい考えだ。朝日新聞をいくら貶めた所で、日本の軍国主義が行った侵略戦争の実態が変わることはない。悪かったのは日本軍である。こう書けばすぐに、日本は戦争をせざる得なかったといきり立つ人がいる。大東亜の平和のため、欧米の列強からアジア諸国を救おうとした戦争だった。というような、戦時中の標語のような見解が、最近は出てくる。日本人はどうかしてしまったのかというほどの変わりようだ。
こうした憎悪の言葉は、日本人が常に抱えている、負い目意識の反動と考えた方がいいのかもしれない。日本国という国がどんな国であり、どこに向かうべきかということだ。安倍氏は瑞穂の国、美しい日本と主張して、今はどうも忘れたようだ。本心であり政治家になった志なら、それに反するものが、国を誤る方角ということに成る。TPPの本質は、大資本に日本の国土を売り渡す事にならないか心配でならない。日本人の中には多様な意見が存在して、議論を活発に行うべき主題なのだ。それをレッテル言葉で、切り捨てていたら、民主主義は育たない。近くある衆議院選挙の大義を、安倍氏は消費税の増税延期だと主張した。集団的自衛権の見直しと、日本のエネルギー戦略と原子力発電の是非をかけた、選挙に違いない。沖縄の選挙結果を粛々と無視すると断言した。自民党政権の民主主義無視が許されるのかが問われる選挙である。
しかし、安倍氏の行為に溜飲を下げる日本人が多いいのだろう。近隣諸国との軋轢の深刻化は、安倍氏が計画して作りだしたものだ。両国民にとって、良いことは何もない。和解の道を模索する方法を考えるべきだ。日本の侵略の歴史的事実を書けというので、私の考えている侵略の意味を書いたがそれには反対の意見がなかった。意見が違うという事は、朝日新聞であろうと、政府であろうとある。それぞれが自分の意見を表明するべきだ。そして、最終的には民主的に結論に向かう以外にないのである。気に入らないので憂さ晴らしをしているにすぎない人が多数存在する。これを反映したのが、雑誌社の汚い言葉である。朝日新聞が売国であったとするなら、それは戦争中の大本営発表をそのまま流したことが一番であろう。敗戦に繋がる様な戦争に突入した軍や、日本政府に対して、言論で戦い抜けなかったことだろう。その反省に報道は立たなければならない。
愛国とは何か。日本の国柄をまず考えてみることからだろう。この点では私は、安倍氏の標語と同じで、瑞穂の国、美しい日本である。それを実践的に微力ではあるが、日々努力している。安倍氏の奥さんは仲間と田んぼをやっているらしい。江戸末期から、明治初期に日本を訪れた外国人は、ひとしくその清潔で美しい国に驚いたと言う。まるで箱庭のように手入れの生き届いた、田畑に、里山の暮らしに、驚嘆したと言う。もう一度そういう国を目指したいと思う。水土を育む国。それが愛国ではないだろうか。美しい国に暮らす幸せをもう一度日本に取り戻したい。朝日新聞を罵倒している人達は、日本をどんな国にしたいと考えているのだろうか。少なくとも雑誌社に報道機関としての自負があるなら、日本の未来像を模索すべ気だろう。このまま行けば、日本は崩壊して行く事になる。仲間内の足の引っ張り合いどころではない場面である。安倍総理は解散に際して、アベノミックスがおかしいと思うなら代案を示してみろと、力んだ。その通りである。日本中で代案を主張すべき時だ。