日本サッカーが残念な理由

   

海と空 10号 海とか空だけを時々描いてみる。何でもできるからである。説明が不要だからである。説明するということと、抽象ということ。これを身体で探っている。自分の感覚がどう反映するのかである。

日本サッカーはWカップで、勝つことはできなかった。それでも、何故か世界ランキングは一つ上がった。引き分けが一つできたことが評価されたのだろうか。スポーツは好きなのだが、さすがに今回のWカップは特にテレビも見なかった。日本チームの力からして勝てるわけがないと思っていたからだ。サッカ-が強く成れないのは日本の文化の問題ではないかと、大げさに言うなら、言えるのだと思う。食生活から、ライフスタイルすべたが変わらない限りサッカーには勝てないという人もいる。ザック・ジャパンという名前が負けの原因である。ザックで重荷でも背負ってサッカーをやるという意味ではない。監督の名前から来たようだ。この考えでは勝てない。今度はメキシコ人だというが、勝ちたいならドイツから監督に来てもらうべきだ。それはドイツ人なら、日本人を理解できると思うからだ。イタリアやメキシコはちょっと日本人のスタイルに合わない。日本のサッカー選手の態度というものがそもそも他のスポーツの選手とは違う。実に偉そうにしている。本当の敗因はその辺にあるのかも。

目立ったのは本田選手のビッグマウスである。優勝を目指すと本気で公言しているようだった。世界の40位以下のチームの選手の発言とは思えない。己を知らないという以外の何物でもない。まず己を知るということが勝負の大前提である。弱いものが強い物に勝つ方法というものもある。勝つと思うな思えば負けよと、美空ひばりが柔で歌っていた。己を知らないのか、世界を知らないのか、日本のチームとしての力量と言えば、チームとしての個性すらないレベルだ。選手一人ひとりがレベルが低いということではない。良い選手が世界に散らばっていて、チームとしてのまとまりが出来ていないということになる。強いチームの国には、強いサーカーリーグがある。当たり前で、そういう自国に良い環境のある国より強くなるには、よほどの戦略が必要になる。ところが、日本のサッカーリーグは、コマーシャリズムに飲み込まれている。まず、商売優先ということの中で、ナショナルチームの運営である。成功した商業モデルではあるのだろう、

日本で鎖国しているような状態で、商売が成り立つことを目指している。その為に弱いということを認めることができない。自分達の状況の把握が上手く行かない。実は日本の政治や経済と同じだと思っている。日本の国力の正確な把握が出来ていない。希望的過ぎる観測や、大和魂的な精神主義が、現状分析に反映してしまう。日本の農業を考えるという時に、日本人の資質や、日本の環境条件すら軽視されてしまう。これが国際競争力という言葉になって、頑張りが足りないから、近代化が足りないから、大規模化、工場農業という、場当たり的なコンサルタント的な話になる。結果、日本という環境の中に一律に、プランテーション農業を持ちこんで成功させようとしている。たぶんインドに登場したイギリス人農園主のように、大企業がファンドで集めた資金で、世界から安い労働力を集めて、国際競争力のある農業をやろうというような、政府のイメージなのではないか。農業では、ワールドカップ出場もできないだろう。予選落ちである。

日本が恵まれた島国で生きてきた幸運の為だろう。鎖国の江戸時代から、富国強兵の明治時代への、前近代社会の尻尾が色濃く残っている。その為に、日本人の持つ能力を見極めることができない。日本という社会環境を分析できない。厳密な人間の運動能力でいえば、どこの国も大差はない。しかし、それをチームとしてまとめる方法が、あまりにおかしい。日本人の良い選手を、上手く使っているヨーロッパチームがある。それは、完成度の高いチームの中に、異質な日本人要素を加えることで、試合に勝つことができるという、スパイス効果を考えているのだ。何故、外国人監督でなければ、日本のチームが作れないのだろうか。この状況ではお雇い外国人の時代を思い出さざる得ない。当然もう少し違う事情がある。Jリーグの鎖国的商業主義である。この事情が日本のサッカーが、Wカップで勝てない最大の理由だと思う。 

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