教育と貧困
峠の道 10号 箱根の尾根道である。どこにでもある様な、どこにもないような景色である。
お茶の水大学が国からの委託で行った、両親の経済力が子供の学力にどう関連するかという、調査の結果が出た。やはり、学力と両親の経済力は連動しているということである。そして子供の貧困は6人に一人となり、過去最悪の状況になったそうだ。厚生労働省の発表によると、子どもの貧困率は15.7%、およそ6人に1人の子どもたちが、貧困の状態にあるといわれ、20年前の1.4倍。40人学級なら6,7人の子供が貧困で、充分に学用品も買えない状態ということになる。子供たちにとって、困難な時代になっている。このことは、階層化が進んでいるという意味で、昔の貧しさと違う内容である。豊かな家庭は好きなだけ教育を行うことができる。一方に、教育を受ける意味すら自覚できないまま、教育から取り残される子供たちがいるということだ。格差社会の深刻化が子供に現われている。日本は豊かになったことも事実だが、その豊かさはこの20年停滞している。この間、徐々に格差が深刻化して、社会にゆがみが広がり始めている。
貧しくとも努力して、学問をするという、二宮尊徳のような人は、稀有なことになり始めている。学校現場では努力はしては居るのだと思うが、社会や家庭の矛盾が、学校で渦を巻き始めている。社会の矛盾は学校に現われ、結局は子供に現われる。大学の時に、小松先生が繰り返しそう言われていた。食事にしても、学校給食が、一日1回の温かい食事という子供もかなり存在するとされている。そういう意味で、学校が子供の最後の砦になって社会の矛盾を引き受け、教職員の苦労も並大抵でないだろう。毎日起こる育児放棄、児童虐待の悲惨な事件。こんな状況は、社会の格差のひずみと言わざる得ないのだろう。個別的には様々な事情なのだろうが、日本社会の貧困と教育の負の連鎖が、社会に現われ始めたと言えるのではないだろうか。
貧困家庭の問題は、NHKが継続的に取り組んでいる。様々な角度から取材していて、とても丁寧に問題を解きほぐしている。会長の横やりが入らないか極めて心配だが、今のところは発信が続けられている。格差が20年を通して深刻化している。家族間の問題は様々に深刻化して、家庭内の犯罪比率は増加している。介護殺人や、養育放棄も増加する傾向にある。弱いものが逃げ場を失いがちな社会になっている。一般的な凶悪事件は減少していると言われるが、家庭内での子供にまつわる事件は増加して、今後さらに悪い状況が予想される。殺人自体は低水準で推移しているだけに、親族間の殺人の比率が高くなってきていることは、暮らしの崩壊を意味しているのだろう。戦後社会の貧しさを、少しは覚えている。しかし、現代の豊かな社会に埋もれた貧困は、心をむしばんでいる気がする。
弱いものに容赦のない社会。能力のないものに対して、差別することを認めている社会。それは女性差別へも現われる結果である。政府は少子化対策というような事を主張しながらも実際には、東京都では保育所に預けたくても預けることのできない家庭が、いくらでもある。女性の輝く社会をめざすと政府は言いながら、女性蔑視の風潮は、少しも減ることが無い。むしろ、このまま格差が固定化され、子供たちの成長の可能性すら差別を受けることになるのだろう。教育をどう地域の物として、再生できるのか。教育の自給である。小田原市に生涯教育の支援ということで、様々なメニューが示されているが、むしろ子供たちの教育の多様化に、行政ももっとかかわるべきではないだろうか。子供の補修が大手の塾任せになっていることなど、むしろ地域の小さな塾の再生に行政かかわる必要を感じる。