農地の流動化

   

秋の曽我山 10号 曽我山の中には割合自然林が残されている。歳によっては黄色に染まることがある。草紅葉ということもある。

農地が自由に売買される。これは必要なことだ。現状では農地の所有者の満足するような価格での、買い手がいない。その為に売買が少ない。農地を必要とする人が少ないので買い手がいないのは市場原理である。そこで、農業以外の企業が、一応農業目的ということで、買えるようにすれば、農地が流動化するのではないかという発想が出てきた。その為に農業委員会を土地売買の許認可から外す。農地が農業目的以外に買われることがある。不法とまでは言えないでも、抜け道の様な手法で、宅地転用されることもある。こうした可能性に期待しているから、農地は資産としての価値が高いのである。つまり所有していることの負担は少ない。税金がほぼかからない。資産の所有が地域社会での位置の確保にもなる。先祖からの受け継いだ家督相続という意識もある。文化伝統という要素もある。農地が農地として、その生産性から正当な価格で、売買される可能性が少ない。土地に従属したような産業である農業に置いて、その土地が生産性から価格が付けられるということが無い、特殊な状況に農地はある。

農地は物の売買のように、需給のバランスによって、価格が成立するような状態になることはない。にもかかわらず政府の政策は、いかにも住宅地のように、土地の流動化を進める方法があるかのように、説明することがある。これが農業の土地改革の誤解のもとになっている。具体的には企業の土地所有の自由化ということが先行する。企業が工場用地を購入するときに、それは工場での生産性や、市場での需給見込みから、購入可能な価格というものがあるのだろうが。実際には工場用地であった土地が、商業地や宅地としての転売が可能になり、大きな利益を上げるということがある。また工場用地が企業の資産保有になり、銀行からの借入金や、株価に影響を与えるということがある。企業の農地所有には、当然のことながら、農業からの直接の利益よりも、土地を所有するということからくるもろもろの利益効果に、ウエートがかかることが予想される。これをどのように制限するかが具体化されないと、将来農地が農地としてさらに利用しにくくなる可能性が高い。

確かに、企業が大規模機械化農業可能な農地を所有し、大きな資本を自由に投下して、農業に参入すれば、スーパーマーケットが出来て、町の商店が衰退したのと同じことが農業でも起こるはずだ。消費者の利益ということでは、一時的にはその通りで、ネット販売が登場すればその分どこかが減る訳である。農業に企業が参入するということは、農業に競争が生まれ、生産性が上がるという意味では正しい方向であるが、当然に、その為の負の影響は起こる。町の商店が、店の売り上げだけで考えれば止めた方が良いのだが、ビルテナント収入で利益があるので、店は赤字経費に計上できるので、続けて入るということと似ている。農業とアパート、駐車場経営の関係。企業が合理的経営をして、農業に新しい息吹を伝えるということは重要である。この時に重要になるのはやはり稲作である。農地としては稲作が大規模化機械化される地域の大半を占めている。

農地の流動化の前に、農地の総合計画が必要である。参入企業が稲作地帯の中の一等地で、トマトハウスを始めてしまえば、稲作の大規模化はできなくなる。農業委員会がそうした歯止めになってきた。農地の流動化はやらなければならないが、その前に総合計画が大前提である。ところがこちらが後回しになっているのに、企業の所有だけは前倒しである。稲作をどの程度残すのか。企業が購入しないだろう、中山間地の農地はどうするのか。自給的農業地域をどのような条件で設定するのか。国土計画の中で、どのように農地を位置付けるかが大前提である。大規模稲作地帯にはそれ以外の作物が作れない様な規制が必要だ。また、ハウス地域というような、地域ごと作目も明確化して行かなければ、生産性の向上は計れない。そして自給的農業に、不利益地域の農地維持をゆだねることだ。

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