岩盤規制への挑戦
池 3号 池を作り描く。池は光の表情が複雑で面白いものだが、身近になければその変化をたどれないと思う。
「成長戦略にタブーも聖域もない。日本経済の可能性を開花させるため、いかなる壁も打ち破る。」国の成長戦略を述べる際の安倍総理大臣の覚悟である。良いコピーライターが付いているようだ。意味のないものを意味のあるかのごとく見せることが巧みである。これは広告業界の仕事だ。年金積立金を株式市場に大量投入することで株価つり上げを狙う。財源の裏付けもない法人税減税を決めて、財政赤字で破滅に進む。外国人技能実習制度を現代の移民を導入する。トップセールスと称して原発や「武器」を世界に売り歩く死の商人。さらにはカジノ賭博解禁で、儲かれば何でもやるというえげつなさ。確かにタブーに挑戦している。本来やってはいけないことにのめり込んでいるとしか思えない。大企業の経済の為なら、何でもやるというのが成長戦略ということのようだ。国際競争力だけにこだわり続けると、どういう国になるのか。それは韓国のようになるということだ。美しい瑞穂の国日本はどこに行くというのか。
特に農業分野の全農、農協というまさに業界団体の聖域があり、岩盤化しているように見える。日本の農業を今の状態にした、良い意味でも悪い意味でも、責任の大半が農協と全中とそれを補完するかのような農業委員会にあることは確かである。これを大改革しようということは正しい。国の農業に対する成長戦略は、農協の守りの岩盤を粉砕して、全中を解体、農業委員会を再生して、企業が参入できる状態を作り出し、国際競争力のある農業を作る。これが農業成長戦略の基本姿勢のようだ。これだけ見れば、何か可能性があるようにも見える。実態はそんなに単純ではない。特に稲作では、減反政策というような最悪の手段が採られた背景がある。その背景は少しも変わっていない。日本の稲作は全体で見たら、生産性は悪いものなのだ。これは大型化とか、機械化、移民、すべてを行ったとしても、国際競争力はできない。それでも稲作は日本の安全保障を含め、日本国の総合として、必要なことなのだ。
岩盤を崩したとしても、その先の展望がなければ、期待できない。岩盤規制が良くないのは当然である。しかし、農協や、農業委員会が行ってきた役割もある。重要なことは、将来の展望に従って、規制や補助を変えてゆくことだろう。では政府の成長戦略の農業の展望とは何かと言えば、国際競争力一辺倒の掛け声だけである。世界に日本の農産物を販売できるような農業ということなのだが。どうやってという方法論は稲作では示されていない。あるとすればロボット農業というぐらいだ。確かに工場農業という形はある。養鶏業が庭先養鶏から、工場養鶏に変わって、国際競争力のあるものになった。そうした意味では養豚では可能だと思う。日本人のきめ細やかな生き物に対する技術力を考えれば、可能な分野はあるはずだ。キノコなど、中国に最先端の工場があった。中国に置いて、日本の技術がさらに整理されて実用化されている。ロボット農業も技術競争である。
しかし、稲作のロボット化は可能なのかといえば、一部の地域の一部の分野では可能であろうが、その適地は日本の稲作面積の10%にも満たないはずだ。10%のロボット化の期待できる稲作なら、企業も参入するだろう。そうして残りの90%の農家の稲作は、さらに追い込まれることになる。それもあまりに非効率であれば、確かに仕方がない面がある。しかし、瑞穂の国としての日本が失われていいのか、という方向は議論するべきだ。日本の地方の社会は、激変するだろう。地域の維持はさらに困難になるに違いない。議論がないまま、企業参入による国際競争力優先では、日本の地方社会の崩壊に拍車がかかる。国際競争力がいらないとは思わない。少しでも合理化しなければならない。しかし、いわゆる工業製品とお米は違う。絶対的に自然環境に支配されているのだ。稲作をどうするのかが、日本の農業の基本的な問題である。