飯山線沿線
富士 4号 富士山をイコンとして描こうということを繰り返している。難しくて面白い。
長野に絵を描きに行った。斑尾高原という所に始めて行ってみたのだが、山の上の方は描ける場所はなかった。そのすそ野に広がる、中野、豊田、飯山と、飯山線沿線の里山の風景は心に残るような素晴らしさがあった。いつも野尻湖から西の方の、妙高岳、黒姫、戸隠、飯綱、で描いていた。ここが良かった。志賀高原の方もよく行ったということがあった。今回もう少し北信の中でも、新潟県よりの飯山線沿線を行ったり来たりした。良い山村が点在している。日本の原風景というか、いつまでも残さなければならない姿がある。今回は木島平から野沢温泉の方は行けなかったので、もう一度行ってみたいと思っている。田んぼのある風景というものが、いかに美しいものかを改めて感じた。田んぼを中心に風景が作られている。それは水土としてある法則のある風景である。それが分りやすいのが、6月の山村の風景なのだろう。一つの田んぼの存在が、風景を作り出す人間の暮らしの魅力。
山の棚田での水の廻し方の工夫がある。田んぼの配置の必然があり、風景もそれによって作られていると言える。沢があり、溜池があり、段々畑がある。家のある場所は、山際の日陰であったりする。農地を中心にして、集落が形成されている。そして鎮守の森があり、お寺があり、水神様がある。こうした風景を見ることができたということは、すでに貴重なことなのかもしれない。周辺には電気柵が張り目ぐされていたりして、どれだけのシカや、イノシシがやってくるのかと思うと、途方に暮れるような思いがする。周囲にこれだけ広大な山があっても、獣たちは人里に忍び寄る。山にドングリがないから里に来る。こうよく言われたが、一度里で味をしめた動物たちは山に戻ることはない。山の動物とどのように折り合うかは、江戸時代を思い出すべきだ。オオカミ・大神とあがめながら共存する。
犬は放し飼いである。山村では漁師が居て、常に獣と戦っていた。こうして何とかバランスが保たれていたのだ。鶏の声がしないかと思って聞いていたが、ついに聞こえなかった。もう山村の暮らしも変わってしまったのだ。鶏犬相聞こゆる山里はすでにない。かあーちゃん食堂という農協の店に立ち寄ったが、野菜がなかった。端境期で申し訳ないと言われていたが、それよりもお客さんが梅雨で来ないのだろう。雪深いところだから、気候がそうなのかもしれない。田植えは、2週間ほど前に終わったようだ。かあーちゃん達の雑談の様子が一息ついた所という感じがした。あちこちでかあーちゃんが草刈りをしていた。田んぼの合間にソバの畑がある。これが独特の風景を作っているが、そば屋が結構ある。観光対象の地粉の生産ということが奨励されているのではないだろうか。ソバも食べてみたが、それほどの味はしなかった。却って、出された本場の野沢菜漬けはびっくりするほどおいしかった。
山里の田んぼが残るような方策をぜひとも取ってほしい。山里の田んぼに経済性はない。国際競争力もない。しかし、こうした棚田が作り出している美しい風景の意味が、日本という国ではないのか。そういう意味を描き残したいと思った。そういう所に絵を描いてきた私という人間の意味でもあるような気がした。小田原では久野方面がそういう田んぼのある風景の場所である。そういう場所に暮らし、田んぼを耕作できる幸せを感じている。里山があり、渓谷を縫うような急流がある。そして扇状地があり、平野部に居たり、海にそそぐ。この中に人間の暮らしを織り込んできて、日本人が出来た。今それが根こそぎ失われかかっている。日本人が日本人で無くなってしまって、経済だけの人間になってしまって、いいのだろうか。こんなことを考えながら絵を描いているということが、まずいのかもしれないが。