梅酒とびわ酒

   

山の畑 10号 丘の上のみかん畑。はるか下の方の港に、集落がある。こうした当たり前の風景がどんどん消えていっている。

落ち梅の梅酒

昨年のびわ酒と今年のびわ酒

この時期、どうしても梅酒とびわ酒を作る。沢山あるからだ。梅干しもかなり漬けたものが残っている。もう作れない。梅シロップか梅酒である。これも限度があるのだが、かなり作ることは作る。梅酒はとても好きだ。ビールの次に好きなお酒だ。美味しい梅酒というのは、古酒である。10年物と、20年ものを較べれば、20年ものが明らかにおいしい。一番古いお酒は東京に居た頃作ったものがまだあるから、これは30年物ということになる。作り方も色々凝ったこともあったが、大した違いはないので、ごく簡単なやり方である。まず、落ちてきた梅を拾う。大きめのものなら完熟であったり青梅であったりするが、大した違いがない。コンクリートの上に落ちてくる状態なので割れている場合が大いいが、その日に落ちたものを拾い集めて、広口瓶に入れて、氷砂糖とホワイトリカーを入れるだけである。

○広口瓶に8分目程度、落ちてきた梅良く洗って入れる。
○氷砂糖を入れる。倍の量の35℃のホワイトリカーを入れる。
正確に測ることもないが、砂糖は少なめにしている。それは、甘すぎたら困るからである。時間をかければ、砂糖が少なくとも、充分梅のエキスは出尽くす。ヘタを取るということもしたことはあるが、今はしていない。大した違いはないという結論である。落ちてきた梅にはヘタがあまりないということかもしれない。結局面倒なことはできない性分である。梅はそのまま2,3年は入れたままである。それで味には納得している。味に対して大雑把なのかもしれないが自分にはこれで十分である。他所で我が家のもの以上の梅酒を飲んだことはない。古酒を熟成させるベトナムの壺に、継ぎ足してゆく。この壺の中にも梅は入っている。週に1回は飲むのだろう。梅酒の味には不満がない。冬はお湯割り、夏は水割り。といってもそのまま飲むことも多い。

びわ酒もなかなかいいものである。枇杷の実が大量に余るのでこれも勿体なので、ホワイトリーに付け込むのである。昨年の漬けこんだ日が6月22日とある。同じ日になるのだから、植物の月日の移り変わりは不思議である。シロップ漬けとか、ジャムとかもあるのだろうが、面倒くさい気がして、つい生で食べ飽きたら、広口瓶に洗いもせず、どんどん入れこんで、そこにホワイトリカーを注ぎ込むだけである。これがまたなかなかのびわ酒になる。これは飲んで薬効があるという味である。独特の飲み口なのだが、どこかせんじ薬的な味もする。枇杷葉というものはとても薬効があるのだが、たぶん枇杷の実や種の方がもっとあるのではないかと考えている。一合ぐらいはすぐ飲んでしまうが、体調がおかしくなったということもない。いたって健康である。健康の元になっていると勝手に思っている。これも付け込んだままで何も出さない。

枇杷の場合枇杷の甘さでびわ酒が甘くなりすぎるので、特に何も入れなくていい。氷砂糖を入れるにしても、ほんの少しでいい。ともかく1年以上置くことである。しかし、20年物が美味しいと言っても、今更作っても85になって毎晩飲めるものだろうか。そう思って最近は古いものから、どんどん飲んでしまっている。つまり、死ぬまでの年限を計算して漬けこんでいる訳だ。広口瓶も20個ぐらいはあるが、まだ足りないので、買ってこようかなどつい考えている。これは、年月のむさぼりなのかもしれない。相当生きるつもりでいる訳だ。枇杷でも、梅でも、つい薬効とか、健康とか考えている。あさましいと言えば、あさましいものだ。ただ美味しいからというだけでいいはずなのに。全体の在庫量としては、増えもせず、減りもせず。今年も6升のリカーを買った。

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