棚田の田植え準備
波 10号 波だけを良く描く。一時描く気に成れなかったが、今は又描いている。
欠ノ上田んぼは棚田である。全体で3反ほどの田んぼだが、11枚に分かれていて、段差は全体では5mほどあるのではないか。入水の経路は複雑で、3つに分れていると言えるのだが、大きく2つの経路が途中の7番の田んぼで合流するようになっている。10番、11番は入水口がなく、そもそも湧水で作っていたらしい。10番には塩ビ管で8番から水路をまたいで水を入れるようにした。11番は今でも湧水だけで作る田んぼだ。昨年覆田してもち米を作った。実際に田んぼで説明しても、1年ぐらいでの参加では理解しにくいほど、分りづらい状態である。また、隣接して耕作している上の田んぼと、下の田んぼ人たちの、水を優先しなければならない状況なので、その水廻しの複雑さは、なんとも言えない。たぶん棚田というものは、こうした水で繋がる、運命共同体と言えるのだろう。今は、久野川の上流部の方で、代かきのピークで川からの入水自体が、減少している。雨が少ない訳ではない。
一昔前までなら、流域の田んぼということで、田植えの時期も調性がされていたことだろう。今は田んぼ自体がだいぶ減って、水が足りないというようなことはない。それでも、代かきを行うためには、少ない水を上手く回すために、工夫がいる。当然のことだけど、入水口から水漏れがないように、代かきをしながら徐々に下の田んぼに水が入るように、水を廻してゆく。その為に、3反の田んぼの代かきに、1週間ほどの時間が必要になる。同時に、田んぼの畦からの水漏れが頻繁に起きるので、常に直し直しである。これを繰り返していると、成るほど手入れの力というものを感じるようになる。完全になおそうなど出来ないので、その場しのぎを繰り返す。いつも気になる部分を残しながら、綱渡りをしていても何とかなるという精神である。この為に、ついつい田んぼに日に3回も行くようになる。まあ、それが楽しいといこともあるのだが。
水を水尻から排水するということはない。水を廻して、一番下の田んぼで、浸み込ませてしまって終わりである。それは途中で水漏れが起きているということもある。そもそも一番上の入水口で入れられる水の量が限定されているためでもある。しかし、不思議なことはそのしみ込んでしまう、最後の田んぼが収量が多いい。水が足りないということは、乾いていて草が出るといことになるが、草さえよく取れば、水の量はそこそこでもお米はできるということのようだ。この草さえ取ればがそう簡単なことではないのは、当然のことではあるが。しかし、昨年の経験ではヒエは、見たら田んぼに入って取っているのだが、10本ほどしか生えなかった。8センチ以上の水位を保つことがある程度できているということになる。ソバカス抑草がそれなりに成功しているということでもある。トロトロ層の形成である。まだトロトロ層については、把握しきれてはいないのだが。田植えが終われば、ソバカスの散布をする。
コナギやクログワイやセリはそれなりに出てくるのだが、早め早めの、コロガシで対処している。トロトロ層を作り、それをコロガシで天地返ししてゆくという感じだ。表土を発酵状態にしてゆく。その見極めは泥の匂いでしている。匂いのしないのがいいのではなく、良い発酵の匂いがするようにソバカスを追加して行く。ソバカスは土壌の為でもあるのだが、表面に浮遊して日照を制限しての抑草効果もある。米糠より全面に広がり、散布しやすいということがある。入水口に播く場合と、風上から播くことがある。一番上の、保温の為のクワイを植えたため池にソバカスを播いて、下の方に順繰りに廻すということもできる。ある程度は追比の効果も期待できる。散布回数や量は生育や草の様子を見ながらであるが。1反50キロぐらいは播くだろうか。今日は、残念なことに自治会長研修ということで一日つぶれる。こういう時に研修日を持ってくるあたりに、小田原がすでに、農業から離れていることを表している。