児島善三郎の作品
下田港 10号 根姿山から描いた。
児島善三郎の作品は学ぶものがある。具体的な影響を受けた先生である。モネ、マチス、ボナールと好きな画家は数多くいるが、抜き差しならない形でその絵作りの方法を教えられたのは、児島善三郎である。絵の在りがたいところは、昔に亡くなられた方でも、絵という具体的なものを通して、教えていただけるところにある。児島善三郎氏の絵を思い出したのは、小田原にあるレストランのハルノキで、大日野さんという水彩人に出されている人が、作品を飾られていたからだ。はじめの一帆展と入口に確か書いてあった。この大日野さんが安曇野に住んでいるから、児島善三郎のアルプスへの道はどこで描いたものか聞いた。さっそく調べて教えてくれた。それで驚いたことに、私が何度も描いた場所と同じだった。ところが同じ所で描いていて、かなり違う絵になっていた。しかも、あの名作と同じ場所だということに気付かなかった。何といううかつであるか。何を見ていたのかという、馬鹿さ加減。
児島善三郎氏は独立美術協会の設立者である。フランスで学び、帰国してから、日本の油彩画の確立に邁進された人である。研究的な絵と売り絵的なパターン化したものとが共存している。いい絵ばかりではないので間違いやすい絵描きだ。様式を確立しようとしたのだろう。見ている感の無いものも多々ある。比較的早い時期の日本的な様式を確立しようと模索している時代のものが、興味深い。その中でもアルプスへの道や、箱根の風景は、日本的な見方というものに迫っている。自分の目というものの奥に横たわる、心の世界をどのように、眼前の風景に反映するかの戦いである。明確な色彩や形象にどう精神を表現するかの苦闘している。難しいしごとであるが、絵を描くということの重要な方角が示されていると思う。誰もが、了解し合えるものを目指した。所がそのために相当に難しい絵になった。日本のマチスと言えるかもしれない。
小林邦という安曇野の画家がいる。この人は国画会に出品されていた。水彩人の仲間の松田さんから教えられた。自分と同じことをしている人がいて、全くびっくりした。間もなく亡くなられて、松本城のそばの会場と安曇野市の方の2会場で遺作展を開かれた。この時の作品集も出されて手元にある。今となっては貴重なものである。松本におられる絵の友人の白木總一さんが、小林邦作品集をまとめられたらしくて教えてくれた。展覧会のことも確か教えてくれたのだったと思う。この小林邦氏の作品は、児島善三郎氏をさらに進めたものだと思った。私も同じような気持ちでやっていたので、さらに具体的に学べる作品であった。ところが、今描いているものは、あの頃から思うと、ずいぶん遠くに来た。先に進んだのか、間違った道に分け行ったのかは分からないが、どう考えても違うところに居る。諦めたのか、居直ったのか、いい気になっているのか、充分反省する必要がありそうだ。
児嶋氏のアルプスへの道は自然に無い形を自然から探っている。自然を通した絵画そのものの意味の探求だ。純粋絵画と言える。私はたぶんそういう仕事ではないようだ。山の方よりも、下に広がる畑や家に関心を持っている。人が暮らしているたたずまいに興味が行っている。今はそのことの意味を意識して考えている。児嶋氏は山や雲を、形や色に興味を持って描く。これはごく当たり前のことである。その反対に、古い農家の家を説明的に描く人もいる。私の場合は、山があり、そこに畑を開き、植林をして、里山となった、その中に溶けこんで、人の暮らす集落がある。この全体の調和のような空気に興味がゆく。そのことがだんだん意識が強くなってきた。たぶん、純粋絵画というより、イラスト的ということなのだろう。思ってもいなかったが、もう一度、児島善三郎の絵を考えてみて、そのことを気付かされた。