法制審議会の取調べの可視化意見
渡良瀬遊水地 10号 ここは相当に面白い場所だ。秋枯れ草に成った頃また行ってみたい。
4日神奈川県警で容疑者が取り調べ中に死亡する事件が起きた。警察発表が報道されているが、取り調べが可視化されていれば、真実が明らかにできる。警察官も不当な取り調べをしていないとすれば、疑われず安心なはずだ。その後の調査は行われているのだろうか。法務省法制審議会では、取り調べの可視化について、事務当局試案というものが、4月30日に出された。これがびっくりするような内容のものなのだ。周防監督や村木さんが参加しているにもかかわらず、とんでもない後退した事務局試案が出た。これでは可視化が悪用されかねない、例外規定に満ちた試案である。こんなことなら可視化は、この際一時やめた方がましだ。可視化の選択や操作を検察が出来るようになっている。可視化する以上、すべてを通して可視化しなければ、可視化したことを悪用されかねない。可視化については、一切の例外なく、先ずすべてを可視化することにしなければ意味がない。可視化できない原因ははっきりしている。現状の捜査手法が、第3者には見せられない違法性に満ちたものだからだ。
警察の取調べを受けたことがあるが、心理的な圧迫ということが、その手法である。狭い窓のない部屋で、押し込めるような位置に座らされた。心理的に不安状態に追い込まれる。そして、一人が向かいに座り、一人が立っていた。もう一人が入口付近で書き取っている。私の場合はこういう場面になると、強いタイプであるので、法律に基づき正確に反論を行い、論理的にむしろ警察官を説得するように冷静に話した。一人が慌てて法律を調べに行ったようだった、私の見解を無視できないと確認したのだろう。警察官は案外に法律知識に乏しいと感じて、やっと心理的に優位にたった。一点の矛盾を論破したら、その点を繰り返し質問し、そして自己矛盾の問題点を謝罪させた。そのことを今度は文章化しろということで、、こちらから攻撃に移った。堂々巡りをした。結局これ以上続けるなら、告訴するということで、尋問は終了した。これは警察の取り調べなので、ま違いなく検察となればレベルが違うのであろう。
可視化すると、例えば暴力団が怖くて、正確な自白が出来ないというようなことが言われる。それは可視化したものが、外に流出すると普通に感じているからだ。きちっとした情報管理が、先ず大前提である。そして公開前に、弁護士が全映像音声記録を確認し、公開範囲を決めれればいい。これを検察の責任で、安心な状態が作れるのであれば、暴力団に漏れるというような不安は生じないはずだ。現状では警察、検察からの情報漏れはあるに違いないという、信用されない今の状態がおかしいことだ。もう一つは、検察が自白を導くための手法が、違法的なものでもし可視化したら、調査尋問法を根本から変えなければならず、現場ではそんなことでは調査ができないということだろう。しかし見られたら困るような尋問というのは、おかしいのではないか。自白主義が根にある。白により、証拠を見つけるということは実際には良くあることだろう。
警察や、検察は、検挙数を問題にしている。先日も三重県警でと滋賀県警で事件の貸し借りが行われていたことが判明した。DNA証拠で真犯人が分り、他で誤認して逮捕した事件を、覆さないために、似たような未解決事件を、三重県警に渡したのだ。こんなことがあるということは間違いなく氷山の一角である。いつもやってきたこのだろう。証拠主義の科学調査力の向上である。これには費用もかかるだろうし、設備も必要である。しかし、冤罪が一つあれば、100の逮捕をしたとしても許されないことになる。アメリカでは死刑後に冤罪が判明した事案が6件だかあったという。日本でも、すでに死刑が執行された事件で、冤罪の疑義を主張する人がいて、DNA鑑定を要求している事案がある。検察はDNAの再調査をしないとしているが、もし、すべての事案で、DNAの再調査をするとなった場合、結果を考えると恐ろしい気がする。まずは、取り調べの全過程の可視化は大前提である。