第4の矢
妙高岳 雪 10号 始めて雪が来るころの、妙高岳は自然の実相がむき出しになるような感じだ。正面に小さな集落があるのだが、その姿が人間のむき出しの姿を感じさせる。
もう誰も安倍政権の第3の矢が今後放たれる、など信じてはいないだろう。あれは、がんばろう節のようなものだった。新しい産業の提案など、何も出てこないまま、アベノミックスは終わろうとしている。多くの人がアベノミックスの先行き不安を感じてはいたのだが、一年経過して、新しい方角は、何も出すことが出来ないままだ。第3の矢がどこかで準備されているのかもしれないという、期待感はあったので、株価などムードで上がった。ところが安倍政権は第3の矢の準備もないまま、ここまで来てしまった原因を明確にしようともしない。何故、第3の矢がないのか、何が予定外だったのかを反省することからだ。経済は、極めて具体的なものだから、精神論は全く通用する訳がない。今のところ、原因を原発の再稼働が出来ないということに、あげつらっている。エネルギーコストだ。本当は原発を再稼働したところで、経済が良くなる訳はない。当たり前のことだ。しかし、そこに原因を押し付けておけば、何もしないでいるいい訳には成る。
安倍政権は既得権の側に立っている。古い自民党の構造を前面に出している。前向きな新鮮な発想というものが、全く感じられない政権に成った。既得権を順繰りになでさすっているだけのことだ。既得権を壊すようなことは、絶対にやらないという信念のようなものすら感じる。だから、第3の矢が新しい経済政策とされてきた以上、既得権に触れるに違いないのだから、一切の新しいことは、避けねばならないと、実は考えているようだ。大企業の給与は上がったかもしれないが、その分国民の経済格差が出来たにすぎない。靖国神社にあれほど行きたがる理由は、過去に執着しているからだ。その意味でも、新国立戦没者墓苑など、とんでもないことになる。ともかく昔からあるものを、後生大事にしていこうという以外、考えが見えないのだ。本当の所は、始めから第3の矢など全くどこにもなかったということが、ばれてしまった状況。
この際、第4の矢ではないだろうか。第4の矢は日本の確実な実力に戻るということだ。相手を倒して、勝ち取ろうということではない。国際競争に勝つ為ということを理由にしない政策だ。原発を理由にしない、日本の展望である。原発が何の理由にもならないことを認めた上での話だ。宙ぶらりんの原発が再稼動出来ればという、都合のよいいい訳は無駄だ。安倍政権には第3の矢すら、準備できなかったのだから、日本の為には、政権を降りることだ。グローバル企業とは関係のない、日本という国家の本当の実力に戻ることだ。日本人が普通に生きて行ければいいというところに戻ることだ。そして、国民を無意味な競争に駆り立てないことだ。競争の揚句は、戦争への道である。安倍政権の方針で進めば、戦争の道が待っているだけだ。既得権益だけに目が行っているということは、必ずそういう対立に進んでしまう。自然エネルギーを産業にする。このこと以外に日本が成長する道はない。原発事故という試練を体験して、日本人には、むしろそのチャンスがあるのだ。
自民党のエネルギー基本計画は、まさに既得権の死守の姿だ。原子力村を再建し、電力会社を温存し、利権を復活しようということに過ぎない。こんなやり方では、日本はじり貧になる。この機会に古い、既得権をぶち壊し、しがらみを捨て、未来を見据えてエネルギー政策を根本から変えなければならない。既得権にこだわっているのでは、それこそ世界の潮流から置き去りにされる。原発事故ということを、教訓として生かすことだ。そして、かなりの犠牲を払っても、次の時代のエネルギー戦略に移行することだ。時間がかかるとしても、今は我慢して次への実力を蓄える時ではないか。過去にこだわっていてはだめだ。今自民党のやろうとしていることは、滅びのみちだ。破れかぶれの、既得権依存だ。古い体質の勢力が幅を利かし始め、政治を支配し始めている。捕鯨協会と政治の関係を見ればよく分る。諦めるわけにはいかないのだが、ますます、息苦しさが続きそうだ。