笑っていいともが終わった。
下田 10号 実に下田では描いている。これを描いたのは、玉泉寺に近い海岸にあったペンションである。それは今は止めてしまった。海岸に露天風呂があって、冬に入ったら、やたら寒かった。その風呂からの景色である。
笑っていいともは、どこかで偶然で見る程度ではあったが、タモリという人の印象は深い。アングラタレントというスタートだったはずだ。大学闘争時代の早稲田で、枠に入らない生き方をしていたらしい。仲間受けするのでテレビにも登場させたというような感じなのか。もしかしたら、テレビが社会を支配する時代が終わろうとしているのかと思える。今更こんなことを書く感覚が、時代感覚から離れているのかもしれない。しかし、テレビの影響が60年以降の日本の社会を作り出したようなものだ。テレビは50年間この社会を引きまわしたのだろう。良くもあり、問題もあったテレビ影響下の50年。やはり一区切りに成った気がして来る。自分がやるという面白さに比べ、見て済んでしまう面白さは、奥が浅いということだと思う。絵を描く面白さと、絵を見る面白さでは格段の差がある。最近は人の絵を見に行くぐらいなら、自分の絵を描いていたいと思うことが多いい。何か行動をして、自分なりの発見が出来るということは、テレビを見るような受動的な面白さとは質が違う。
テレビというものが作りだした幻影が、経験と錯覚するような新鮮さを失ったのだ。子供の頃ラジオにしがみついた、相撲ファーンだった。そして、中学に入ってテレビで始めて相撲を見た。その時の見た印象は、衝撃的な面白さで、実際の相撲は今もってみたことはない。相撲の楽しさをテレビで堪能してしまった。だから、テレビ相撲のファーンだったのだと思う。テレビで十分で本物を何とか見たいと思わなかったのだ。子供の頃は相撲を良く取った。私はひ弱な子供であったことは認めざる得ないが、相撲はそこそこ強かったのだ。猫だましとか、小手引き落としというような卑怯な技も良く使って勝負した。突っ張りを工夫して、組まずに勝つ方法も考えていた。勝負にこだわる姑息な子供だったのだが、小さいものが大きいものに勝つ為の技を色々考えていた。当然本物の相撲にはないような技だ。後に大学の美術部の合宿で相撲大会に成ったのだが、みんなは意外に思ったようだが、テレビで覚えた相撲でそこそこ勝った。
タモリの当初の面白さはアナーキーな世界を感じさせたからだ。それが時代の変化に合わせて、いつの間にか変貌し、凡人の面白さに至る。当たり前でないテレビの中で、平然としている凡人に成りすました。しかし、テレビというものが、反社会的なものも含めた見世物というより、社会と迎合だけしている表現に成った時に、興味を持てるものが、現実の窓であるニュースだけになった。報道番組というものが、批判精神を持って政治に、無難な影響を与える表現に成った。ところが今や、体制を支持することで生き残ろうというような、自己保身の匂いをさせるようになっている。報道の批判精神の生命力を失うことになっている。当然、テレビに変わるメディアが多様に登場をし始めて、アナーキー部分はそちらの役割と分業化しているのかもしれない。本当のことをれ美に期待する方がおかしいとい、住み分け。天気予報でも自分の町の正確な情報は、テレビではだめだ。
見る文化、受け手の文化から、発信する文化に変わり始めている。ブログはその象徴である。このグーブログというものの登録数は200万を越えた。もちろん、半数どころか、実数は20万ぐらいだろうが、それでもすごい数字である。テレビの番組ぐらいのことなら、誰でも言えるという意識に変わってきている。テレビでは料理番組というものがあるが、たらの芽を取ったので、美味しく食べようと考えたら、ウエッブ情報を見ることになる。それで昨日は酢味噌和えにした。実用性のレベルがテレビより勝手が違う。もっと美味しいタラの芽料理を考え付いたら、ウエッブで発信することもできる。その料理の反応すらえることが出来る。この動機づけは、テレビにはない。テレビが受動的、体制支持の無難さを求めたことで、笑っていいともには、安倍総理大臣まで登場した。こんなものを誰が見たいと思うだろうか。役割を終える。