福沢諭吉と安重根
桂林 桂林に行ったのはもう20年も前になる。一緒に行った春日部先生も、田中さんも亡くなられた。あのときの続きをまだ描いている。それくらい面白い場所であった。絵画の精神性ということが問題になる。
福沢諭吉の学問のすすめは明治のベストセラーである。明治維新を考える上での当時の知識人の考えていた方角が良く示されている。小学の教授本として書いたというぐらいだから、とてもわかりやすく書かれている。そう長いものではないからすぐ読める。特徴的なことはその具体性である。抽象論には間違ってもしないという、明治的実行姿勢があふれている。何故学問のすすめのことを考えたのかと言えば、安倍氏が国会の演説で引用していたからである。これも竹中平蔵氏や弟の岸外務副大臣などの慶応派閥のブレーンから言わされているのではないかと思われる。安倍氏の頭の中を福沢諭吉と結び付けるのは無理がある。明治の実学の代表が福沢諭吉である。ハヤシライスを作った林さんは、福沢諭吉の指導で西洋風の料理を出したということである。日本人の栄養状態にまで関心があったらしい。日本人の暮らしの方向を福沢諭吉は一方で示している。
所が福沢発言をさらに調べてみると、今の時代でいえば、ヘイトスピーチの連中とかわらないような発言を時事新報に繰り返し記載している。福沢氏は自分の主張をひろめるために、時事新報を創刊し、主筆であった。日本を列強の側に立たせる。「文明」側に日本をたたせる。侵略を文明開化の為と正当化する。その姿勢は、安倍政権が強調するアメリカと同盟する、強い日本論。価値観の異なる幻想中国と対峙の構図を思い出す。福沢諭吉は成るほどに、安倍氏が気に入りそうな、発言ばかりである。強い国日本の論拠はここにあったのかと思わせるものがある。競争に勝利し強い国に成り、世界を睥睨しようという発想である。巷のレイシズムやヘイトスピーチと何ら変わらない人に、福沢諭吉が見えてきた。福沢諭吉に明治時代の帝国主義化の限界があるのは仕方がない。が、現職総理大臣安倍氏に強い日本、帝国主義的日本を主張されても困るのだ。
安重根の記念館がハルピンに出来た。伊藤博文氏がハルピン駅で暗殺されたからである。日本は伊藤氏や福沢氏がお札になる国である。記念館設立を、多くの人が中国・朝鮮の暴挙として受け止めたのではないか。見方を朝鮮の位置に変えれば、こういうことは当然に起こりえることなのだ。日本にとっては殺人犯であるとしても、朝鮮にとっては、民族自決の維新の義士なのだ。朝鮮民族の自立と革命の為に命をかけた英雄ということになっている。中国は以前から、韓国政府の安重根の顕彰要望を抑えていた。それは、中国国内の少数民族の独立運動の活発化を畏れているからである。しかし、中国と日本の関係の悪化に伴い、方針を変えたのだ。朴大統領の要請に従い、記念館の設立に進んだ。日本政府の抗議があまりにも遅く、間が抜けている。朴大統領が発言した時に、このブログにも書いたが、あのときが抗議すべき最後のタイミングだ。中国としては、国内に複雑な側面があるので、外交としてはやり方はあった。黙っていて、今になって騒ぎ立てるのは、むしろ政府内に日中関係の悪化を望んでいる勢力がある。と考えなくてはならない。
安重根は明治時代であっても勤皇攘夷の志士と同じなのではないかという議論が、日本でもあったのだ。伊藤博文が暗殺され、これを契機に朝鮮の併合、植民地化が進む。その意味で、安重根の暗殺行為は、失敗だったという主張も韓国にはあるそうだ。いずれにしても、中国は暗殺を行った民族主義者を讃えてしまった。チベットやウイグルで起きている暴動と弾圧。この矛盾は後で棘になって、自己矛盾を増幅して行く可能性がかなりある。中国内の朝鮮族の人々がどう感じるか。中国が、リスクを冒して、そこまで韓国を重視した理由をむしろ知りたい。福沢諭吉を読むということは、明治の帝国主義の本質を知るということになる。福沢諭吉の一面は、経済の合理主義者である。つまり明治のアベノミックスである。そして、一方では国粋主義的な、明治帝国主義者である。安倍氏はこのことを深く理解しなければ、また戦争になりかねない。本の読み方も様々である。