南足柄老人大学

   

山北の菜の花 10号 10号ばかり出てくるが、写真の撮影の都合でこうなっている。写真を取るのは曇り日の野外である。又この絵の写真は自由に使っていただいて構わない。アイデアを使ってみたいという方がいたら、それも自由である。鶏の餌に菜の花を使うものだから、冬に菜の花を追いかけることになる。その記憶から、黄色いお花畑を何度も書きたくなるのだろう。

南足柄の老人大学で講演会があった。関口明美さんという、南足柄市の史資料調査員の方が、酒匂川の江戸時代の氾濫について話された。そして、東海大学の佐々木園子先生が南足柄の山の変遷について話された。2つとも興味がある内容なので、聴きに行った。関口氏の話は、相州酒匂川雑記 長坂直賢という国会図書館にある本の読解であった。大学の古文献学入門のような感じだった。国会図書館の古文書の一部はデジタル化されていて、無料で、誰でもいつでも読むことも、印刷して出すこともできる。ありがたいシステムである。宝永の富士山の噴火によって足柄平野は大きな被害をこうむる。災害は忘れたころやってくるというから、過去の災害の記録を調べて、未来に生かすことはとても大切なことになる。

酒匂川には霞関というものがある。堤の一部が切れている土手の作り方のことである。普段は水量の少ない川が、上流部の大雨によって一気に増水する。その時にわざと切られている土手から、徐々に水があふれ出す。この時強い水勢で被害が出ないように、徐々に水かさを増した水が溢れ出てゆくように、切られた堤の部分に、水流とは逆向きに上流に向かって開かれた堤がある。これが霞関である。これによって川の淵には、集落との間の田んぼが、遊水地になるように出来ている。これは、一昨年の小山町から山北町にかけての大雨の際にも、上手く作用して、被害を最小限に食い止めている。これも江戸時代の水土技術の素晴らしさを表している。自然の破壊力の大きさを、柔軟に受け止めて、折り合いをつける暮らしである。同時にこのことは、大雄山の街は天然の霞関である怒田丘陵に、守られたところに出来た街だということだった。人間の暮らし方の参考になる。現代は危うい場所に住宅地が作られてしまい、危険なことになっている。私の住んでいる場所も土砂災害危険地域になった。知っていればここに越してきたかどうか。

佐々木先生のお話は、南足柄の山の自然環境を30年間、調査されてきた報告であった。先生とはとはNO2の測定活動で、25年前から第2東名高速の反対運動で、一緒に活動をしていた。その頃は、東京に住まわれていて、こちらで終日の調査をした時には泊まっていただいたこともあった。南足柄の山が危機的状況であるという話だった。山全体の管理の方針が立っていないということである。杉檜の植林地であれば、林の樹齢によって管理が変わってゆく。しかし経済林としての循環が滞ったまま林道の建設によってむしろ山が荒れた部分がある。又薪炭林としての広葉樹の林は木を切る人が居なくなり、目的のない杉檜に変えられた。本来ブナ林の極相に至るはずの林は、標高700メートルを越えた小山町側に存在するだけになってしまった。

現在、放棄された民有地の林を切り出し、コナラ等のドングリを蒔いて林に戻す活動をされている。山の中でも杉檜の植林地域と、広葉樹の林と、ブナ林と、地域を決めて管理して行けば、そう長い時間でなく自然は回復できる。30年の変遷からもそういうことが見えると話された。それにしても、時間のかかることだから、どのように次世代に受け継いで行くかが課題だと提起されていた。経済性のないものが切り捨てられ、荒れてゆく。山の姿は人心を反映している。美しい山を作り出せるような未来を見据えた、山里の暮らしを取り戻す必要がある。びっくりしたのは瀬戸琢次さんが司会をされていたことだ。老人会の仕事をしているとは聞いていたが、まさかここでお見かけするとは思わなかった。瀬戸さんとは、清水の田んぼを一緒にやった。農の会を作り出した一人だ。瀬戸さんは教育の自給ということを言われていた。大学の授業ぐらいのレベルなら、みんなでやれるだろうと言われた。なるほどこういうところにその考えが結実しているのかと思った。

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