歴史について
桃の畑 10号 甲府盆地は今は果樹畑が多い。子供の頃にはなかったものだ。ぶどうやスイカはあったが、桃はなかった。桃の畑が広がり、お蚕さんをやる農家と対立があった。桃が圧倒して景色が変わった。親戚にも桃をやる農家が2軒ある。
高校での日本史教科が必須科目になるということが出ていた。これは当たり前過ぎて、今まで日本史を学ばない高校があったことが、意外であった。しかも、世界史の方は必須だったというから、日本の教育思想の不自然さとにあきれてしまった。世界のことを知るためには、先ず自分のことを知ってからである。よりローカルであることこそ、グローバルに繋がってゆく。日本という国のことを知るということが無くて、世界のことを知ることはできない。自分のことを知る。これが高等教育の目標と言ってもいいのだろう。自分を知るためには、日本のことを知る。これはとても重要だと思う。昨日は舟原のドンド焼きであった。これで口々にれで風邪をひかないということを言われていた。私は田の神様との関連を考える。山梨では藁で作った小屋で子供たちが集まった、大きい子供は一晩過ごし、翌日にはその小屋を燃やした。何故祭礼には火がかかわるのか。すべて日本人の歴史にかかわってくる。高校での日本史のことであった。日本史を教育に取り入れるべきだということには、2つの理由がある。生きる要領を教えるのが教育ではなく、人間のことを深く知るのが、教育だと考えるからだ。
自分は誰なのか。どこから来てどこに行こうとしているのか。自分が今いるこの場所がどこで、どんな場所なのか。これを探るのが教育の大目的であろう。自分がだれかということは、つまり人間とは何か。これはすべての学問の基礎だと思う。算数をやることも、自分の生まれた地域のことを知るのも、すべて人間というものがどんな生きものであるかを知ることに繋がっていなければならない。自分の暮らしの歴史を知るということは、何にも代え難く大切である。ここでいう歴史は、秀吉とか、応仁の乱とか、の年号覚えるなどということはほとんど関係のないものである。知らなければいけない歴史は、民俗学の歴史である。日本の氏神というものには、どういう背景があるのか。こういうことを各々の地域に根差して、学ぶ必要がある。当然どういう作物を作り、どういう暮らしをしてきたのかこういうことも大切な歴史だ。これが第一の理由だ。
政府として、日本史を必須う科目にするという背景は、もう少し違う不安がある。安倍政権の国粋的傾向に影響されている気がしてならない。下手をすると、日本民族の優秀性を学ぶ、皇国史観の歴史ということになりかねない。日本民族は確かにすばらしい民族である。それは朝鮮民族もそうだし、中国民族もそうだ。どの民族も同様に素晴らしい。文化というものはそういうもので、価値の優劣で考えるようなものではない。強い日本という時に、日本人同士が一定の思想や、共通認識で団結していなければならない。その基となるものとしての国の歴史であってはならない。私が高校で学んだ歴史は、家永三郎氏の「日本文化史」である。当時東大の大学院生であった、菅原先生が担当された。教科書裁判をしていた、家永三郎氏の書かれた日本文化史をあえて、教科書として、指導に使ったということには理由があったのだと思う。60年安保闘争にかかわった人だったからだ。特にゆがんだ歴史とは思わなかったが、柳田民俗学と較べてしまい、とても物足りなかった。
これは、のちに大学に行って共産党系の歴史学者が、全く柳田民俗学を誤解しているので驚いた。誤解は先入観に基づいたものだった。マルクス的な世界観を、前提で当て込んで考えている。それからすれば、柳田民俗学は、日本人を戦争に駆り立てたものになるそうだった。江戸時代の農民像がでく人形のようだった。自分というものがまるでない、言い成りになる人間だけのように考えている人が研究室に沢山いた。これは歴史教育の失敗だと思った。明治の富国強兵教育の裏返しとしての戦後教育。江戸時代の捉え方が、家康狸おやじ説レベルのくだらなさを引き継いでいた。これでは人間の歩んだ暮らしに基づく歴史は全く見えてこない。高校で取り上げてもらいたい歴史教育は、日本人がどのようにして日本人になったのかという歴史である。このことには稲作が最も深くかかわっていると考える。