秘密保護法が出来てしまった。

   

秘密保護法がスピード可決されてしまった。自民党が過半数だから、当然の結果ともいえる。当然ではあるが、もう少し議論して、この法律の良い形の運用法を確認しておくべきだった。この法律は、アメリカから言われて作ったものだ。軍事同盟国としては、当然の不安だろう。国防に秘密が必要なことは当然なことだ。この当然を根拠に、ずいぶん杜撰な法律が出来てしまった。大きな問題点は、国防上の秘密の範囲を誰が決めるかだ。総理大臣が決めることになったのだが、この総理大臣が、独裁志向の人であれば、日本が大変な所に行ってしまう。そこで総理大臣の指定した秘密が適正かどうか、誰かが監視する仕組みが必要になる。この監視組織を、内閣府内に置き、総理大臣が官僚の中ら必要な人材をあてがうことのようだ。これでは論理的に言って監視にはならない。このあたりをどう詰めるかをもっと議論すべきであった。

次の問題は、この法律で民主主義が委縮しないかという不安である。デモによる、アピールの方法を、テロのような一方的な声の暴力だと、自民党幹事長石破氏が決めつけたことだ。政府の本音としては、反政府的な存在はすべて、テロ集団と同等である、という認識を持つ可能性があるということだ。いつ何をやらかすか分からないような、連中であるから、監視の必要があると、監視を強化する。もちろん今も監視はしている、今度は合法化して、デモ集団の徹底的な監視を秘密警察が行うかもしれない。こういう疑心暗鬼が、民主主義の成長を妨げる可能性である。日本には、言論の自由があるとよく言われる。自由というものは実に危ういもので、知らない内に失っているのかもしれない。つまり、デモなどに行くと就職差別されるかもしれない。政府と同じ考えであると、表面的には行動していないと、どこでどういう不利をこうむるかもしれない。こういう、自己保身的な憶測心理が、自由な思想の形成を妨げる可能性が、この法律で高まるだろう。

民主主義の自由を育てる為には、デモをやるような人間を評価する社会を作らなくてはならない。私の居た頃のフランスは、まさにそうだった。デモ隊がかなり過激なことをしたらしく、血だらけの若者二人が、美術学校の前の喫茶店に逃げ込んできた。そのあとをドドット警察官がなだれ込んできた。いつもおとなしい弱虫そうな、喫茶店の店主が警察官の前に立ちふさがり手を広げて、ここに入ることは許さないと、叫んだ。その時、その店にいた全員が、警察官に出ていけとシュプレヒコールで同調した。すると、警察官がすぐ引き下がった。さすがフランス革命を経た国だと、実感した。市民の権利意識の強さがわかった。デモや、ストライキに対して、苦情を言うような人間は許されない空気が存在した。市民的権利を互いに守り育てることを、民主主義の基本としていた。今はどうもフランスでもその点変わってきているということを聞いた。不景気のせいらしい。

情報公開法を早急に作ることだ。秘密国家にならない為にはそれしかない。自民党政権は間違っても作らないだろう。だから、自民党に投票しないことだ。民主党がいくらだめだからといって、自民党に投票するのはさらにだめだ。今回の自民党のやり方は、先ず小手調べである。集団自衛権の拡大解釈。憲法改正の3分の2条項の変更。自民党が考えている国家がどういうものかは、今回の秘密保護法で、かなり見えてきた。有能な政府に任せてもらえば、悪いようにはしないからという感覚である。この独善が、憲法9条の改定にまで及んでゆくだろう。そして、戦争の出来る国家への変貌である。戦前の日本に逆戻りしようとしている。前の小田原選出の河野洋平氏は、今回の自民党の暴挙を批判していた。所が後継と言われていた、牧島氏は読んでいただけば、驚くほど平穏無事である。意見を言わないといことがこの人の信条のようだ。自民党議員の芯(牧島氏の方針だそうだ)を無くしたのは、小選挙区制である。

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