ブラック農家

   

ブラック農家は悪徳農家という訳ではない。暗い内から働き始め、真っ暗になるまで働く農家のことである。それでも収入が極めて少ない、お先真っ暗な農家のことである。ワタミ批判からブラック企業という話が出てきたが、ひたすら働くということは、人間として良いことである。素晴らしい人格の勝利である。働くということの結果がどこに向かうかである。働いた結果が自分に返ってくるなら、ワタミの社長の言うとおり、頑張るほど良いのである。この人間の良心のようなものを悪用するのがブラック企業である。人間の頑張る美徳を悪用するのだから実に悪質である。頑張ったところで何にもならない仕事というのもある。極端な言い方だが、監視された仕事はすべてそうだと思う。教員をやっていた頃も、良い授業をしているつもりであったが、監視されているという部分では、何か気分が悪かった。良く思われたいという気はなかったし、別段首になるほどのこともないし、そもそも出世するような立場でもなかった。

そんな状況でも、給与をもらうということは、監視されているという気分になり、とても負担があった。給与の為や、学校の為にやっているのでなく、生徒に少しでも美術というものを知ってもらいたいと考えていた。何かを伝えるということには、具体的なものが必要である。伝えることの具体化したものが、美術という材料であると考えていた。結局伝えるものとは、自分の中になるものだと思う。知識というものは、いくら伝えてもしれている。補色や色環がどういうものか知ったところで大したことではない。美しいものの価値知るというは極めて難しい。美術大学へ入学する技術を伝えるということがあるが、そういう側面は期待される学校ではなかった。それでも、絵が好きになり芸大に入った生徒もいた。絵を好きになるには、私が絵を描くことをどれほど好きかということだろう。ここからなのだが、農業を好きになるというには、好きで農業をやっている人を見ない限り、伝わらない。

ワタミがいいのか悪いのかはよく分からないが、少なくとも農業法人としてのワタミは、良い話は聞かない。法律とか、補助金とかは熟知して、うまく立ち回っているように見える。そんな人が国会議員になるというのは、本当のブラック農家になりかねない。販売先が確保されている農家に、あれこれ言われたくない。そのために普通の農家が、要領が悪く損をしているような気分になる。補助金をもらっている農産物と、もらっていない農産物が、競争したらそもそも平等性が崩れている。つまり、小さい農家は政治に止めろと言われているようなものだ。そうであるなら、政治はどういう農家を残し、どういう農家には止めてもらいたいのかの、大きな構想を明確にしてもらいたい。素晴らしいことだから頑張ってもらいたいと、励まされているような気もして、ブラック農家になってしまう人もいる。ところが、暗いうちから、暗くなるまでの、ブラックな頑張りを踏みにじるような政策が政治によって進めている。それくらい、小さい農家は厳しい状況に向かっている。

農業は自給で行く方がいいと思うようになった。徹夜で働いたとしても、それは自分の為である。経済とかかわりなく、好きでやっていることだ。そこでは頑張ることが、自分の人間に帰ってくることになる。座禅をしているのだと思えば、気分ははればれとしてくる。そういうときの農作業ほど、張り合いのあるものはない。身体は辛いとしても、こうして頑張れば一年のお米が確保できる。暗いうちから働くのも張り合いであるというものだ。あくまで自分の為であるということが、前提だ。こんど、解雇特区という、雇用条件のなかに、解雇条件を入れる特区が出来るという。とんでもない話だ。この国の競争主義は、くるってきた。勝つためには手段を選ばずである。消費税の値上げが、法人税の値下げである。法人税を下げて恩恵のがあり、従業員の給与を上げられる企業。国民に占める社員数など、しれたものだはずだ。財政再建はほぼ絶望的なようだ。

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