かながわ里地里山保全促進計画

   

8月29日、神奈川県の条例である。里地里山保全事業の見直しの為の、ヒヤリングのようなものが、小田原の合同庁舎であった。県内に指定個所が16か所あるので、説明と聞き取りを行うという。美しい久野里地里山協議会からは10名ほどの会員が参加をした。正直なところ神奈川県が何を目指しているのか、もう一つわからなかった。予算が減るので、補助が減るという説明があり、今後は自分たちで収入を得るような努力をしてほしい。そのためにコーディネーターをお願いするなら、その補助は行う。そのアイデアの事例としては、直売所、商品開発、加工施設、体験農場、休憩施設、が事例として示された。老齢化の穴埋めに、都市ボランティア育成。里地里山の実態を把握していないとしか思えない条例の提案である。5年間一緒に活動をしてきたのであれば、もう少しは現状把握が出来ていなければならない。たぶん、検討委員会の先生方の、机上の空論の結果が並んでいるのであろう。

里地里山がなぜ、消え去ろうとしているのか。何故過疎地域が出来るのか。農業が振るわないからである。農業を再生することに触れないで、議論をしても無駄な議論である。里地里山地域を指定し、ここだけは特別に残そう。そのことが神奈川県にとっても、大切なことだと考えなければならない。そこでの農業は、里地里山らしい、循環型の農業である。この生き残りのための提案を出来ないのであれば、お茶を濁しているにすぎない。お茶を濁していることが、里地里山地域の人の負担の上に成り立っていることを忘れてはならない。明星岳見晴らし登山道の整備をした。そして、継続して、つつじを植えて、整備をしている。草刈りだけでも大変な労力である。補助のお金などいくらかもらったところで、到底無理である。何故、登山道を整備したかったのか。何故、草刈りを無償で続けているのか。ふるさとの山が大切だからである。そして登山者が来てくれるようになった。そのことが他所から来た私のようなものでも嬉しい。だから草刈りには出ようかと思う訳だ。

TPP加盟の結果、国際競争力のある農業が求められる。このまま同じ流れの中に居たのでは、久野のような傾斜地、小規模農業は存在が難しくなるだろう。そこで、都市近郊の残された里地里山の利点を生かした農業を振興すること以外道はない。その視点が、里地里山保全計画に生かされなければ意味がない。これは、5年前この条例が出来る時も、同じ主張をした。ところが、横浜、川崎の都市の中に残った、里地里山のセンスで都市住民がどのように里地里山保全にかかわるかが、中心の考えだった。そんなことは無意味だと考えたが、予想通り、5年の結果都市住民は、レジャーの場所として、お客さんとして里地里山に来てくれたが、この場所を自ら保全して行く主体になるような方向は芽生えはなかった。このままでは、地元のただでさえ精一杯の農業者が、都会のお客さんにサービスをするということになりかねない。

久野の里千里山の保全は、一つは消費者に来てもらう農業への転換ではないだろうか。例えば峯自然園や、ブルーべリー農園旭である。消費者が来てくれるような農業へ道を開くための、法的な環境整備をするのが行政の役割である。また、あしがら農の会のような、市民参加型の農業の推進も一つの方向である。新規就農者の受け入れもある。新規就農者と言っても、専業農家ではなく、それなりに、仕事を持つ兼業の新規就農である。こうしたことは、地域には芽生えてきている。しかし、新しい試みは、法的な問題の整理。情報の収集。情報の発信。行政の協力があれば、推進される場面もあるだろう。こうした細かな調整こそ、行政の役割だと思う。5年間かけてそのことを学んでほしいと思っていたが、現状では、むしろ後退したとしか思えなかった。

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