自民党の憲法草案を読む。
憲法記念日である。自民党憲法草案を読んでみる。わかりやすい文章になっているのはいい。現在の日本国憲法は、文章が硬い。良く言えば重々しい。悪く言えば法律的難解文章である。現憲法は国民が政府に対し、国の運営の在り方を求めたものである。だから、国民一般を特別に意識しするものではなく、国政の運営方法が、憲法違反になっていないかを制御しようという意図で出来ている。その理由は、第二次世界大戦の敗北という大失敗を二度と、繰り返さないために作ったものだからであろう。今回の自民党草案を見ると、国民の義務が至る所で強調されている。つまり、自民党憲法は国が国民に対して、このような国民でありなさいという、国民に対して作ろうという明確な意思を持った憲法草案である。
現憲法の前文で最も大切だと考えられてきた、日本国の平和主義が削除されている。世界平和に対する、日本の思いが削除されて良いのだろうか。このことによって、憲法の精神にある世界平和への希望が失われた。その代わりに国に対する愛情を義務付けて強制する。品格が失われてしまった。前文は短く半減した。その分、本文は国民の義務のあれこれを法律のように加え倍増した。第2章の戦争の放棄は安全保障と変わっている。つまり「国防軍」を新設するためである。これは新憲法草案と言ってもいい部分だ。「領土の保全」というものも新設される。自民党に言わせれば、改正である。思想の自由については、これを侵してはならないとなっていたものを、「保障する」と変える。自民党憲法は国民の責務に向けての憲法であり、国家権力に対し、憲法によって縛ってゆくものではなくなっている。背景にある意識は「最近の国民は、国に要求ばかりして、義務を果たさん。」こんな苦々しい気持ちが浮かび上がってくる。
第24条には「家族は、互いに助け合わなくてはならない。」という条項が新設される。余計なお世話である。そんな道徳的な規定を改めて憲法で示したくなる心情が、自民党議員の中に充満しているということがわかる。20条においては、国の宗教的行為を、社会的儀礼の範囲を超えないものについては、認めるとしている。これは靖国参拝を意識したものであろう。国が宗教とかかわらないというのは大原則であり、拡大解釈をされるような文言は入れるべきではない。至る所で国家とつながる公益や公の秩序を強調し、国民への規定があふれている。国民の義務や責任を強調し、軍事裁判所の規定(76条3項)を置くことで、人権保障規定という憲法の本質を変容させようとしている。地方自治の確立も阻害する95条の削減など、地方自治の確立を妨げる、逆方向の憲法の匂いがする。日本国を大切にしない、国民へのいら立ちのようなものが、この憲法草案を書いた人の意図として、全体を通して感じられる。
それにしても、全面改定である。これだけ多くの条項を新設し、その根本精神を変えようということは、新憲法制定ということである。新憲法制定は憲法違反だ。96条によって改定は定められているが、国会議員に対し新憲法の制定の発案は認められていない。これだけ根本的に変えようというのであれば、新憲法検討委員会を国民より募り設置することが大前提である。はたして、そこまでするような状況が日本にあるとは思えない。何故膨大な改定を提起したのかは、問題をわかりにくくするためだろう。本質は国防軍の新設である。このことを全体の中に紛れ込ませるために、あれこれ細かく出してきているにすぎない。問題のすり替えが意図。国防軍問題を紛れ込ませている。しかし、自民党の体質というものが良く見えてくる自民党憲法草案である。憲法記念日に改めて、現行憲法の素晴らしさを確認するものである。
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