沖縄の主権を考える。
政府は主権回復の日を開催した。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約の発効によって戦後の占領支配から解放された日である。一体この日を記念する意図は何であろうか。どちらかと言えば忘れたい屈辱の過去である。日本が愚かな戦争を行い、敗戦をしてしまい、日本が占領下に置かれていた屈辱を忘れられない。戦争に敗れれば主権を失うということを記念しようということだろうか。主権を回復したことは忘れがたい、屈辱の期間があったということである。沖縄では、この日を屈辱の日として記念してきた。当然のことで、沖縄の人たちは日本国民から切り離され、この日以降もアメリカの占領下に置かれていたのである。沖縄が本土に復帰したのは、1972年5月15日である。つまり日本が本当の意味で主権を回復したのは、この日である。一部の地域が占領下では主権回復とは本来言わない。
日本本土から切り離されたアメリカ占領下の沖縄では、米軍基地が拡張され現在にいたっている。今もって、沖縄の現状は日本本土の為の犠牲的状況にあると言えるのだろう。はたして、沖縄の主権というものは、現状で存在するのだろうか。沖縄では市街地の中に存在するアメリカ軍普天間基地の移転が、叫ばれてきた。しかし、今日まで実現をしない。普天間基地の危険性は米軍すら認めるところで、使用禁止が要請されるような基地である。ところが、日本政府は辺野古への移転を主張するばかりである。沖縄の基地負担の軽減は政府は繰り返し述べている。にもかかわらず、辺野古という沖縄の北部地区への移転以外ないとする。これは沖縄に主権がないということを意味しているのではないだろうか。政府は口では、基地負担の軽減を言いながら、辺野古への移転はごり押しする。沖縄では辺野古への移転はこぞって反対である。何故、それが出来ないのかと言えば、沖縄の主権が認められていないからである。
沖縄の辛苦には、永い歴史がある。日本本土からの差別の歴史がある。今に至る大きな負担を課せられている。特段太平洋戦争においては、激しい地上戦が行われ、政府調査では死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。悲惨な民間人を播きこむ戦争があったことが分かる。その結果、占領され、本土が主権を回復したとする日より、さらに20年の長い期間米軍占領下の時代が続くのである。そして、やっと復帰したとはいえ、基地の軽減はなさっれないまま今に至っている。原因の一番は、戦争を行い、敗戦したことにある。その愚かな戦争の第一責任者は当時の軍部である。自ら主権を失う行為をしたのは、日本国である。それを回復したことが意味するものは、2度と戦争をしないということではないか。にもかかわらず、平和憲法の改定を画策する、第一歩として96条の改正を画策するなど、もってのほかである。
主権とは何か。日本国憲法では、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と宣言している。沖縄に主権があるということは、沖縄県民に主権が存するということである。沖縄県民がこぞって米軍基地の移転を望めば、米軍基地を排除する権利を有しているはずである。にもかかわらず、辺野古への移転を、政府は押しつけようとしている。日本政府自身が、沖縄の主権を認めていないということにならないか。沖縄県民の主権は踏みにじられていると言えないか。この日沖縄では、屈辱の日として抗議集会が開催された。安倍氏は主権回復の日の式典において「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く、思いを寄せる努力をなすべきだ。」このように述べたという。その言や良し。後は行動である。沖縄の人たちが望む、普天間の県外移設を果たしてもらおうではないか。
昨日の自給作業:お茶摘み3時間 累計時間:3時間