研修の人と話していて

   

先日から、研修の人が2人見えている。手伝ってくれるのでかなり助かっている。助かっているのだが、あまり楽をしていると、後が少し怖い。研修の人がどういう人であるかはあまりよく知らない。話してくれれば、そうですかということだが、こちらから聞くことはない。聞いても大体忘れることにしている。どこの誰であれ同じでありたいからである。人は様々であるし、誰だって言いたくないこともあるし、人間は説明の言葉わかることなどほとんどない。この時代に自然養鶏に興味を持つ人というのは、やはり特別な人である。研修の長い人もいれば、一日だけという方もいたが、畜産関係の専門の方や国の畜産研究の仕事をされていると言われていた人もいた。大学の先生らしい人もいた。タイの人も見えた。名前もわからないし、今どうされているかも大体の方はわからない。それの方がいいと考えている。年2,3名としても、50名以上にはなるのではないだろうか。業としての自然養鶏は規模を縮小してしまい、参考にならないので基本お断りしていたのだが。

断る気持ちになるのは、自然養鶏を業としてやってゆくのは、無理だと思えるからだ。日本という国の現状を考えた時、若い人が農業に進んでも食べてはいけない。食べてもいけない仕事を人に研修するというのは、どうかと思うからである。ただ、鶏が好きで飼いたい、鶏の飼育方法を知りたいというなら、伝えられることはある。母方の祖母と父の影響で子供のころから生きものが好きになった。そういうものを研究する学者になりたいと思ったこともあった。しかし、学問するというより、生きものと一緒に居るのが好きだと気がついた。好きなことを見つけるのが若い時の仕事だ。これが父の口癖だった。生きてゆく仕事になる訳ないのだが、好きなことをやっているのが一番と考えて、鶏を飼っている。自然養鶏業をひねり出した。何とか、ここまで来たのだから幸運だったし、間違っていなかった。好きなことしかやらないのだから、身体的にはつらい時もあるが、楽しい毎日なことは確かだ。

葬式で母方のいとこが全員集まった。9名である。それで気づいたのだが、自分の料簡の狭さのようなものをしみじみ感じた。みんながあまり優しい人なので、自分が優しくない人間であるということに気付かざる得なかった。これは父の系統の家が極端な家だったからではないかと思う。極端な家で育ったので、その偏向に気付きにくかった。自分が当たり前だとつい思いこんで、60歳を過ぎた。私が権力志向とか、出世主義を毛嫌いするのは、むしろ、そういうものに洗脳されていたからではないかと思った。従兄弟たちは端からそんなものにはかかわらない人ばかりだった。生きてゆくということを、大げさに重荷にと感じすぎているのかもしれない。普通にやることが難しい。やりすぎ位でないと、どうも面白くない性質のようだ。建前や、言い訳を一言付け加えて、何事もやるような面倒くさいところがある。いろいろ反省しなければならない。

研修の人は何かをやめて、養鶏を始めようという人だろう。これはリスクを伴うし、大変なことである。参考になるかどうかもわからないが、まだ鶏は飼っているので、少しでも参考になるところがあれば、いいかと思う。鶏に接してみなければわからないということがある。発酵ということは、体感的な、経験的なことだから、映像で見たところで、よくわからない。餌の発酵の状態を、自分で仕込んでみれば、昨日と今日の微妙な違いがどこにあるのか。少しは知ることが出来るだろう。研修と言ってもその程度のことだ。日本一の卵を作っているという気持ちはある。それをやると経営が出来なくなるというところが、煮え切らないところだ。私はそれでいいが、これからの人にそんなことを言っていたのでは、と思うが自分のやり方以外伝えることもない。

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