水彩人の制作
水彩人の研究会で、下田に行ってきた。いそかぜというホテルに泊まった。少々古くなったホテルだが、海を描くには良いホテルである。伊豆では一番の場所だと思う。海越しの富士山を描くなら三津浜とか、海の夜景とか花火の熱海、みかん畑の段々畑なら根府川とか、色々ある。しかし、海だけというなら、下田のいそかぜがいい。伊豆半島の太平洋に突き出した突端にあるホテルである。海しか見えない。恵比寿島とかいう信仰の島があるのだが、むしろ、それは邪魔なようなもので、とことん海である。例えば、空を描きたいと言うなら、世界中どこの海でも同じだという人もいるだろう。しかし、この辺でいえば、南足柄の空と、小田原の空はまるで違うのである。智恵子抄ではないが、やはり阿多多羅山の上の空がほんとうの空だという。私のような俗物には、どこの海が本当の海だという程のものはないが、これほどの海は他にないのである。
一つには、岩場の様子がいい。港も作られているのだが、ホテルの前あたりは、岩場が残されていて、アオサ?が密生している。岩場の間で猟師の人がとっていたので聞いてみると、ヒジキを取っているといわれて、大きな袋に詰めたものを6袋ほどケイトラの荷台に積んでいた。そのヒジキはスーパーで干された商品から見ると、似ても似つかない1メートルぐらいの大きなものであった。海藻というのは、干されてあんなに小さくなるのだから、ミネラルの豊富さもなるほどと思う。その岩場が溶岩が流れ出したもので、色も面白いのだが、海水からの顔の出し方が絶妙なのだ。一日眺めていると、水位が1メートルも変わる。つまり水を打った苔庭のようなもので、千変万化の深い色彩を現す。そして水である。水を通して見える岩の様子が、水位によってまるで変わる。光の角度でも変わる。朝日は左手の爪木崎の方から出て、弓ヶ浜の方に沈む。つまり、朝日が見えて、夕日が見える場所である。その開けた大空間を照らすように、右手から左手に照明が変わる。
24時間海を見ていると、その変化というものがいかに大きいか。ただ海と言っても、刻々の変化に驚かされる。特に射光が海のうねりに絶妙なリズムを作り、とろっとしたいぶし銀に輝く。さらに太陽が低い時には、赤みを刺し、黄金に輝く。これがまた、季節によって全く変わってくる。冬が格別いいと思っている。しかし、研究会となると、外で描ける季節となれば今頃か、秋と限られてくる。もちろん春も今頃が最善の季節だ。これより夏になると光が強すぎるようだ。そう思って行ったことがないから本当のところはわからない。海と対するという気持ちで描けることに驚きがある。3月11日の後、行くことにしていたのだが、行けなかった。もう昼の海をしっかりと見ることなど出来ないかと思っていたが、二年経って気持ちが落ち着いた。大津波の前とはたして違ってみているのかどうか。そういうこともむしろ、絵が答えてくれると思っていた。
水彩人の研究会で行くことは、自分の勉強である。講師という立場で参加するのだが、自分も同じに描く。いつも一人で描いているから、年に一度くらいは、一緒に描くのもいいものである。みんなの絵を見せてもらえる。これがまた面白い絵がある。一気に良くなる人もいる。一人で描くより、互いの力を引き出す、高める空気のようなものがあるのだと思う。それは、春日部洋先生と描きに行くとき教えられたものだ。人間の奥にある本質を引っ張り出してくれるものがあった。私自身そうして自分の絵に近づいてきた。人間というものは、群れで生きてきた動物だ。たがいに影響するものがある。これは近代的な西洋の個人主義とは、異なる考えかもしれないが、日本の絵画はそうして生まれ育ったもののはずだ。個人の自由を束縛するのではない、一人を尊重する集団の力というものを信じている。水彩人はそうしたグループとして生まれた。個人の制作を尊重するあまり、互いの絵に対し、黙ってしまってはいけないのだと思う。どんな絵を描いたかは、今日写真を撮ってまたアップしたいと思う。