アンデパンダン展・3月11日をどう受け止めるか

   

アンデパンダン展では福島からのメッセージが特集されている。公募展ではこうした対応は他にはない。福島事故について、芸術がどのように表現されるのか。自分の制作がもやもやしている。音楽はいち早く反応し、さまざまな歌が作られ、歌われている。それも前向きなメッセージや癒しを共感するものが多い。しかし、音楽として、この悲惨を本当に表現しているのかはもう一つわからない。つまり、芸術の表現がより人間の深い精神を反映するものであるなら、バッハの無伴奏チェロ組曲のようなものが生まれてもいいはずである。それくらい人類史的に見て重要な事件だと思っている。人間の発展とか、進歩というものが、無定見に進められて良いものか。人間の生き方にどのような意味合いがあるか。原子力というものを人間が扱ったということは、物質というものに対して、畏れを持たないということだ。神を畏れぬという人類の行為ではないかと。人類が、限りにない欲望に由来する、楽観的希望により、手を付けてはならないというものを、越えてきているのではないか。

このことに、正面から反応できる芸術はあり得るだろうか。また、芸術以外には、この絶望的状況を正しく、表現できるものはないのかもしれないともいえる。今までにもいくつか展覧会として、原発事故の問題が取り扱われたものはあったが、正直見当違いな物しか見たことがなかった。現代の芸術家が社会性というものといかに遊離して作品の制作をしてきたかということを痛感した。もちろん他人事ではなく自分のことでもある。今回、アンパンがこの問題をテーマとして取り上げるということで、とても興味があった。実行委員長は大島三枝子さんというすぐれた彫刻家である。アートフォーラムとして福島の作家を招いての3,11の受け止めのフォーラム。そして、映画上映会「X年後」というビキニ核実験被害の調査報道映画を監督を招いての上映会。新国立美術館の講堂がほぼ満員であった。監督伊東秀朗氏は南海テレビのディレクターということ。ライフワークとして、もう一つのビキニ放射能被害を撮り続けている。

ビキニ核実験の放射能被害と言うと、第5福竜丸のことに限定される。しかし、南太平洋で行われた100回に及ぶ、核実験による放射能被害は、100隻以上の日本の舟が操業を続け、大量の魚を食卓に届け続けていた。被害者であり、加害者であるという問題。第5福竜丸以上に繰り返し、汚染を受けたために、かなりの確率で漁船員は放射能が原因と思われるがんで死亡している。その数は、1000人にも及ぶのではないか。その放射能汚染は日本本土にも高濃度の放射能雲が及んでいた。その事実は、当時の報道でも一般的にあったのだが、日本人はそのことを忘れてしまった。何故忘れたのか。忘れたたいことは忘れる。福島の事故でも同じことが起きることを予感される。放射能をことさら問題にすることは、風評被害や、差別の問題が内在する。今後の前向きな暮らしを遮ることになる。しかし、忘れたことによって、福島の事故は起きたのではないか。という問題。

2年が経過し、会場の作品は3,11の受け止めを表していた。やっと作品に表れ始めている。さすがアンデパンダン展だと思う。いくつか反応に分けられる。1、マチュエールに怒りが出ているもの。2、抽象的に、原発問題への苦悩があらわされているもの。3、直接、爆発する原子炉の姿や、逃げまどう人を描いているもの。音楽と違うのは、被災者を応援するような作品がない点である。告発型というか、苦しみの共感ということになる。3,11をどう受け止めるかはまず、自分が被害者であるというところに立脚するということなのだろう。そして、加害者でもあるということだ。伊東監督は高校生の時に広島の原爆資料館に行って、このことを忘れたら、自分も加害者の一人になると考え、毎年、一度は広島に行くそうだ。「被害と、加害の文明」の中に生きているということを、私がどう受け止めるかということが、私の目がどう見て、どう表すかなのだろう。出来ることはわずかだが、やれることはやらなければならない。

アンデパンダン展の遺作展示の中に、吉澤嘉枝さんという方の絵があった。とても穏やかで、奥の深い絵である。今までも、目にはしていたのだが、気がつかなかった。公募展の会場というのは、1点の絵を良く見るということが出来ない場である。たまたま、遺作ということもあり、気がついたのかもしれない。感銘を受けた。3,11を受け止める絵画の表現はこういうところにあるのかもしれないと思った。

 - 水彩画