絵を描くことと、作物を作ること

   

なぜ、絵を描きたくなるのだろうか。絵を描き始めた時から、不思議に思う。絵を描くことが好きな子供だったことは確かだ。と言って、うまい絵を描ける子供ではなかった。自分の絵を下手で恥ずかしいといつも思っていた。伯父が彫刻家である。祖父は昔のイラストレーターのような仕事をしていたらしい。何となくそういうことで興味を持ったということはあるかもしれない。絵を描くということを、自覚してやり始めたのは、中学1年の時である。渋谷にあった地球堂という画材屋に油絵セットを買いに行った。中学の美術部に入った3人で行った。世田谷中学には稲田先生という素晴らしい絵の先生がいたことが影響したように思う。初めての授業で、その先生は芸大生の時に右手を失ったと言われた。それでいつも手をポケットに入れているが、みんなが異様に感じると困るからだ。と言われた。左手で絵を描き始めたが不自由なく描くことはできると明るくいわれた。

作物を作るのも好きだ。作物を作り、それを食べてくらすということが、とてもいい。やれる間は何とか続けたい。今種まきをあれこれしている。一日5,6回は見てしまう。まだ芽が出ていないか。葉はどうなったか。別段何をするわけではないが、見たくなる。わずかな変化が面白くて仕方がない。特別なことがあるわけでもない。当たり前に推移するだけだが、自然に従って、作物を作るということが嬉しい。折り合いを付けている感じがいい。畑に播いた堆肥で土の今の状態が、苗の生育とどう折り合うかなど予測する。玉ねぎはこのあとどのくらい太ってくれるか。そういうことを見ているだけなのだが、実に飽きることなく面白い。麦は日に日に成長する。これでいいのかどうか。追肥はもう一度した方がいいのかどうか。眺めて考えているだけなのだが、自分がやることが、作物に影響する状態が、自然を読む総合ということで、これが面白い。自給農業の醍醐味だろう。20日にもみ洗いをして、いよいよ田んぼが始まる。

絵を描くことの奥には、素晴らしいものがある。という確信だけがあった。その素晴らしい絵というものが、どこかにあり、それを見つけようというような、青い鳥気分だった。ところが、私にとっての絵というのはそういうものではなかったらしい。と気付いたのは40歳になってからだ。自給自足で暮らそうと山北に住み始めてからだ。自分の絵をこのまま死ぬまで続けられる。そういう安心が出来た。結局のところ、私が絵を描きたいという気分になるのは、、自分の見ている世界を、画面で確認したい、ということのようだ。それは誰かの作った良い絵とは、関係がないということがわかった。それは、自分の暮らしと関係しているらしい。畑を見ている目に移る自然を、絵にする。見ている自分とは何かということが、つまらない取るに足らないものであれ、自分というものを、描く絵をとおして確認したいということらしい。それは世間のいう絵画とは、関係のないもののようだ。鶏を飼い、田んぼでお米を作り、畑をやる。こういうことが絵を描くということだと思うようになった。

私の絵の描き方が、特殊なのか、普通なのかはわからない。たぶんこのブログを書くことと、作物を作ることと、絵を描くこと、すべては似ているのだと思う。描かれた絵の役割が何を意味するのか。作ったお米は食べればなくなる。しかし、なくなるがそれを食べた結果、私は生きている。絵を描くということも、それに近い。絵を描くことで、私の命が命として継続している感覚がある。日に日に、描いた絵よりも、描くということに、さらに見ているという充実の意味が強くなる。描かないでもよくなるのかもしれない。そういうものに近づきたい。確認するとか、確かめたいから描くということだろうか。私の家には私の絵が並べてある。時々眺める。そうすると、自分というものがなるほどと見えることもある。また、一体誰が描いたのかと思うほど、検討すらつかないこともある。もっと絵を描いてみたい。もう少し作物を作りたい。

 - 水彩画