丹沢葛葉の泉
秦野の湧水に葛葉の泉と言う所がある。以前からいい水だとは聞いていたのだが、今回醤油を仕込むので水汲みにいった。秦野から、丹沢の塔ノ岳の方に入った山間にある。竜神の泉という泉が一つ西側の沢にあるが、今回は葛葉の泉の方に行ってみた。秦野盆地は丹沢からの伏流水で、湧水の多いい地域である。22か所の湧水があり、名水100選に選ばれている盆地だ。盆地自体が、水がめの上にあるというような地形といわれている。しかし、この豊富な水を利用する工場が盆地のいたるところに作られるに至り、有害物質の検出があった。その後地下水汚染防止条例などが制定され、現在では汚染は無いとされている。しかし、工場より下流域の水を利用する気にはなれない。また、農地からの硝酸態窒素の流入も気になる所である。そうなると、秦野の湧水でも水の利用したい場所は限られてくる。
竜神も葛葉の泉もどちらかといえば沢からの絞り水だ。伏流水のほうが、水質的には良い場合が多いのだろうが、汚染を考えると、より上流部のほうが人為的なものの混入は少ないかもしれない。しかし大気汚染の影響など考えれば、深いところからの伏流水の方がいいともいえる。判断の難しいところだ。山の方の沢水の場合、大腸菌が存在することがある。これは獣の糞などから来るのだろう。しかし、大腸菌など、重金属に比べたら大したことはない。煮沸すれば問題がない。丹沢もブナが枯れるような大気汚染の影響があるのだから、全く安心ということはないだろう。私の住んでいる、箱根の東斜面にもよい水はあるのだが、こちらの斜面はまだ放射能が少し気になる。山の落ち葉から、沢水に溶け出していないとも限らない。ホットスポットというものがあるらしい。まあ、土壌との結合など考えれば、今年はだいぶ改善されるだろう。
水土の国日本は水の良い国である。日本の果物の評価が中国で高いのは、水が良いということらしい。果物は水菓子というくらいだから、水のイメージと結びついている。良い水とは一体どういう水のことだろう。現代社会では良い水はスーパーで売られている水のことだ。スイスの水というようなものが評判がいいようだ。おかしな風潮である。寅さんが「帝釈天で産湯をつかい。」と啖呵売を語るのは、人間どこの水で育つかで違ってくるということだ。水が変わる。ということを昔の人はよくいったものだ。水が変われば、子供はおなかを壊すものということになっていた。水道ではないのだから、その土地その土地の水というものがあった。新しい職業や新しい土地の水に馴染み、水に合った、ということになる。どれほどよい水であれ、世界各地の名水を脈略なく取り込むことが、身体に良いわけがない。水はその土地で暮らしてゆく以上、その土地のものを飲まなくてはならない。
水は食べ物を作り出しているともいえる。特に日本人のように、稲という水生植物を主食にしている民族においては、水は最も重要な要素となる。水がどのように作物に影響してゆくのか、放射能の移行を調べるうちに、気がつくことが多かった。山に落ちたものは、どのように土壌に影響を与え、水への流出はどう変化して、そして水から作物への移行の形態。土壌を通しての移行とは、まるで違っていた。放射能は不愉快だが、放射能の観察で、物の循環の実相というものにいくつか気づいた。水が良いというこの国の長所を長く残さなくてはならない。水が良ければ、すべてが良くなるともいえる。水を大切にするということは、信仰である。水を汚すなどということは、罰当たりな行為である。工場を作り、汚染水を垂れ流してしまう。原発を作り、放射能を放出してしまう。後世の人々に対して、許されざることだ。豊葦原の瑞穂の国において、水を汚すなど、神意に反する行為である。