絶品!醤油麹
2016/04/05
昨年は塩麹が流行した。私も10キロも米麹を仕込み、随分塩麹を作った。大勢の人にお分けした。使い道が広いという事で、喜ばれることもあり、ついつい沢山仕込んでしまった。どうも来年は醤油麹の方じゃないという話が、舟原田んぼの集まりの時に話された。「ええ、それって、醤油の搾りかすのことじゃない。」と思った。わざわざ醤油と糀で作るより、醤油の搾りかすそのものの方が美味しいと思う。醤油の搾りかすと言っても、私の醤油作りは醤油はざるで漉すだけである。だから、絞りかすは味噌よりも少し水っぽいぐらいのものである。味は醤油と味噌を混ぜたような感じのものだ。炒った麦が大量に入っているので、麦焦がしのような香ばしい香りもある。以前から、金山寺味噌の元として使っていたのだが、なにしろしょっぱい。毎年20キロ位という大量にあるので、使いきれないでいた。もし、これを味噌漬の元として使えば、冬の間の保存野菜として使えば、最善ではないだろうか。
まず、鶏の醤油麹漬を作った。ゆで卵の醤油麹漬を作った。小カブも漬けた。実に良い味である。何とも言えない味噌と醤油の風味がある。味噌漬とどのくらい違うか。醤油漬とどのくらい違うのか。微妙な所だが、味噌と醤油の両者の味わいが引き出されている。発酵で生まれ出たアミノ酸の味わいの複雑な味がする。金山寺味噌のように直接味噌を食べないから、塩分は控えめである。なら漬けに近いかもしれない。しかもなら漬けのような古漬けではない。古い味わいと新鮮野菜の一夜漬けのような野菜そのものの味も残っている。今年の夏は夏野菜を塩漬けにして水を抜いてから、醤油麹漬にしてみたい。今から楽しみである。余りの美味しさに、スーパーでキュウリと茄子を買ってきて、一夜漬けにして実験した。素晴らしい、言う事ない。糠漬けも良いが、これはこれで逸品である。多分昔は絞り切ったとしても利用していたはずだ。
醤油はそもそも味噌の上澄み液だと思う。味噌を作っていた農家で、実際竹ざるを表面に埋めて、味噌からにじみ出て来る液を醤油として使っていたと言う人がいる。私もやってみたことはある。残念なことに醤油の方が味わいがある。醤油は味噌と違い、毎日かき回しながら作る。私の作るやり方では、密閉して、3カ月ごとにかき回し、8回かき回して2年で完成する。酸素を入れない発酵でありながら、3カ月ごとに酸素が入ることで、味噌とは違う発酵菌が活動するようだ。私の場合、味噌は2年間全くかき回さず作る。こうした発酵を利用したソースは多分世界には多様にあるのだろう。それがその土地の食文館の根幹だと思う。醤油のない日本料理など考えられないだろう。醤油は素材を引き立てるソースだ。刺身に醤油。一夜漬けに醤油。海苔に醤油。生卵ご飯に醤油。生の素材そのものを味わう時に、生きて来るものだ。不思議なものでこれは日本人の特徴でもあったものだ。
和紙に墨。紙に水彩画。料理をしないことが料理の真髄。フランス料理や、中華料理とは、異なる文化である。どれだけ中国文化が日本に浸透しても、日本人の食文化だけは、変化しなかった。日本人は文字から宗教まで、すべてを中国から影響を受けたと言ってもいい民俗画だ、その影響のされ方は、良い所を学んで、決してその本質は揺るがなかった。そう言う事が日本人の食事にはある。味噌、醤油はその象徴ではないか。しかし、これも危うくなってきたのが、現代日本人である。田んぼから離れたからではないだろうか。日本の美味しいものが変わってきたことは危機的である。うどんよりはパンである。仕方がないとは思うが、醤油の味わいを見直してみる辺りから、日本の事を考えて見た方がいいのではないだろうか。醤油麹漬が余りに美味しいので、いろいろ思いめぐらせた。