水産資源の激減

   

うなぎの稚魚が採れなくなった。採り過ぎである。稚魚を取る漁業には問題がありそうだ。いままで環境の変化だとか、水温の変化だとか環境要因に問題を逸らそうとしてきたが、要するに採り過ぎればいなくなる。それは、マグロについてもクジラについても同様で、日本人が食べすぎていることが、水産資源の変化に大きな影響を与えている。環境変化もあるだろうが、結果的にごまかしようがない。調査捕鯨をしていることなど、いかにもごまかしである。漁業は狩猟的な段階を乗り越えるべきだ。海がいくら大きいからと言って、地球上の人類が爆発的に増加した以上、海の生き物も絶滅まで食べつくしてしまう。うなぎでもマグロでもクジラでも日本人の責任が大きい。日本は率先して、海の資源の管理に乗り出すべきだ。これは、動物愛護とか、シーシェパードがどうか、欧米の利権とか、日本の既得権とか、食文化とか、環境バランスとか、問題を逸らさない方がいい。

うなぎの稚魚が取れないと言うので、新たに世界中の他の種類のうなぎを買いあさっているのが日本人である。情けないことだ。マダガスカルのうなぎのかば焼きは、日本種と変わらないとか、輸入業者が語っていた。そこまでやるべきでない。そうやって、日本人は世界中のうなぎを食べつくしてしまう。その地域に産業を起こしているというようなことではない。食糧は地域自給して行くべきものだ。同じことを中国人がやれば、10倍の速度で海洋資源の枯渇が進む。そこまで進むと問題に気付く。今のうちに、海洋資源の管理を日本も取り組むべきだ。地中海のマグロが、日本に空輸されてくるなど、不自然すぎるだろう。畜養マグロ問題。うなぎ同様に小さいマグロを捕まえて、養殖する。これは養殖なので別扱いになる。あるいは、各国の漁獲割り当てを締結しない国に、船籍を変えて日本に輸出する。結局こうした問題は、日本人がマグロを食べすぎることにある。

クジラ問題がある。クジラが日本の食文化であると、強弁する向きもある。しかし、歴史的にも一地方のほんのわずかなことだ。日本沿岸に来たクジラを幾らか食べた地方があるという範囲だ。むしろ戦後、捕鯨オリンピックだと言って、敗戦日本の元気づけの様なものだった。日本は金メダルを取っている。というような自己宣伝映画を小学校で上映していた。マルハのマークが映った記憶がある。洗脳教育になったのではないか。日本人はクジラのすべてを利用すること。タンパク質不足の日本食の改善にどれほど役立つかという授業も行われた。そして、クジラも減少した。減少していないと言い張るが、本当にこのままでクジラの生態が維持できるとそう思っているのだろうか。調査捕鯨である。調査とは名ばかりの商業捕鯨である。当然赤字の事業だ。税金を持ち出してやるようなことだろうか。そこまでして、クジラの食文化を守らなければならないのだろうか。どうしてもやりたいなら、沿岸の江戸時代の漁獲量レベルで良い。

自然のバランスを人間が壊して来たことは明らかなことだ。自然と言うものは常に変化をしているから、人間が居なくとも、変化し、崩壊し、絶滅する生物も常にあるのだろう。しかし、人間の行いは、限度を過ぎてゆく。南極まで出向いてやらない方がいい。クジラが大型哺乳類で知性が高いから、可哀想だと言う事ではない。うなぎでも同じだ。人間の数がここまで増加してしまうと、野生動物を狩猟して食べると言う文化は、終わりにしなければならない。そしてもう少しつつましく暮らすべきだ。原発を止めて電気代が倍に成るなら、電気を半分しか使わない暮らしを考えるべきだ。マグロも、うなぎも、年一回ハレの日に食べる位のことで良い。そうしたほうが、電気のありがたみも、うなぎの美味しさも、しみじみ感じられるだろう。

昨日の自給作業:大豆の脱豆2時間 累計時間:11時間

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