国会の解散総選挙

   

今回の選挙ほど、日本の未来を占う選挙は無いだろう。国会が解散したのか、政権党の民主党が解散したのか、分からないほどおかしなことに日本の政治が成っている。大きくは日本に適合しない小選挙区制のせいである。この事に向かい合わないで、定数削減などうんぬんすること自体がおかしい。2大政党制を育てているアメリカは、日本ほど政党の基本理念は変わらない。日本では、軍隊を必要だとする政党もあれば、非武装を主張する政党もある。つまり憲法に対する理念すら、定まっている訳ではない。こうした、日本の政治状況の中で、2大政党に向かおうとした小選挙区制に無理があったのだ。だから、民主党のように、政権党の議員がバラバラ零れ落ちて行くような結果になった。自民党時代のように、同じ選挙区に複数議員が存在するような状態であれば、自民党の中の多様性が、緩衝材的に状況に対応できた。

TPPを選挙テーマにしようという事を野田民主党代表は、突然言い出した。それもまあ選挙前に発言するのは悪いことではない。しかし、同じ政党に賛成派と反対派が存在する中、反対の人はどうマニュフェストを掲げて選挙をすればいいのだろう。つまり、出て行けと言っているようなものだ。こうした党内で意見の分かれることは、普通にあるだろう。これをどのように議論をまとめて行くかの努力が、見える形で十分行われているかである。選挙に有利そうなことを思いつきで、代表が述べてしまうのでは、民主的な政党とは見えない。マニュフェストと党内議論の在り方が、充分に練られていないのだろう。原発の問題を何故、民主党は選挙テーマからはずそうとしているのか。本来であれば、原発廃止と表面で言いながらも、タイミングを見て原発再開が本音だからとしか思えない。再処理工場再開など、全く筋の通らない無駄遣いである。要するに、核廃棄物の処理法がないという事を隠ぺいする方策にすぎない。

それにしても、民主党がこれで無くなるのかと思うと、誠に残念である。国民が民主党に期待したものを、完全に裏切り、政治というものへ若干期待をした、国民の芽を枯らしてしまった。脱ダム宣言はどうなったか。コンクリートから人間への転換は幾らかでも出来たのか。政治家が国の方角を定めると言うことはできないという事を示したのか。脱官僚はいまでも新党の揃った掛け声であるが、民主党のだらしなさを見ると、具体策を示されない以上信じがたいものがある。政治家に官僚を上回る見識があるとは言えないということなのだろう。石原氏は新東京銀行で失敗し、オリンピック誘致で失敗し、尖閣問題をタイミング悪く悪化させた。こういう人が果たして脱官僚の政治など実現できるのだろうか。息子が自民党で総裁に成れなかった腹いせえで、今度は橋下ぐらいの程度の事に見えてくる。

第3極の結集など全く意味がない。保守化は既に自民党で起きている。民主党の中にも政権党に成ってから、保守化してしまった議員がいる。それに加えて、第3極も太陽の党の最右翼が加われば、足を引っ張るばかりであろう。国民の期待は、橋下氏が反原発を明確に打ち出すかである。TPP推進政策と地方の政治との矛盾をどう解消できるかである。私は、地方から政策を積み上げることになれば、つまり、具体的な生活に密着した所から政策を積み上げれば、TPP推進はあり得ないと考えている。もし、維新の会が具体的な政策を練り上げるなら、そのことにぶち当たると想像している。維新の会まで明確に保守化すれば、いよいよ、生活が第一しかないことに成る。社民党は安倍氏まで離党した。脱原発は、単なるエネルギー問題ではない。日本という国の在り方を変えようと言うことである。

昨日の自給作業:小麦の播種準備1時間 累計時間:9時間

 - Peace Cafe