生活保護のこと
生活保護は出来れば無い方がいい。無くて済むなら、ない方がいい。こう言い切ると弱者の切り捨てということになる。たしかに生活保護が無ければ、明日を生きることも困難であるという人もいる。しかし、無くても周辺で助け合える社会ならその方がいい。そうした社会が出来るまでの、この境目の世界は、とても一筋縄ではいかない領域と考えなければならない。暴力団が不正に受給するなどという事に、目を惑わされてはならない。路上生活の人を見ていると、生活保護を受けられる人は、とてもうらやましい人である。生活保護を受けることが出来ない人も結構いる。理由は様々である。逃げている人もいる。戸籍がないという人もいる。お金の支給は分かりやすい方法だが、実は本質をはずしている。本当の解決にはなっていないと思う。緊急避難のようなものだろう。
路上で暮らすと言っても、ネットカフェで一夜を過ごしたり。ドヤやファーストフード店で一夜を過ごす人。様々な条件の中を行きつ戻りつしながら、より悪い状況に追い込まれてゆく場合が多い。要するに安心して寝泊まりできる場所を持たない人達。住まいがない人。この不安な状況から、憂鬱な気分が増してゆく。前向きな精神状態を失う。住まいの世話をすることが、生活保護の前に必要なことだ。空き家は、760万軒もあるという。これを制度的に上手く活用できれば、住まいの確保は出来るはずだ。この事は震災の仮設住宅として利用すべきと言われたが、やはり機能しなかった。まず安定して住める体制を作る。これが出来れば、次に仕事のことに入れる。そうすれば、生活保護を受けなくとも済むようになる。何にしても住まいの確保である。これからどんどん家は余るだろう。ここには行政のやるべき役割がある。震災の仮設住宅も時間が立ちその運営が困難を増しているようだ。どうもこういう事が上手く機能しない社会や暮らしになっている。
確かに、行政が直接かかわりにくい部分がある。近隣とのトラブルや、法的にボーダーなことが多い。行政は直接管理運営することは苦手である。確かな市民との連携をするほかない。確かな市民を作り出す事が、市民協働社会の最重要課題である。仕事につくと言っても、まず本格的な仕事の前に、訓練的仕事の領域が必要である。いつも主張することだが、農業をやれば、生きていることはできる。割の良い、楽してお金になる仕事はなかなかないだろうが、普通の生活費ぐらいは、まだ稼げる社会である。そう考えて、農業分野で仕事を提供して行こうという活動にかかわった。コッコ牧場である。鶏を飼って共同生活をしてゆこうという活動を目指した。今も活動は続いているのだが、苦労が多い。今も長く使っていた農地の返還を言われている。どうしてもより弱いものが集まることになる。それは当然の結果であるし、悪いことではないのだが、運営は苦しく成って行く。
お金で済ます仕組みもよくない。ボランティアで支えることも問題がある。(昨日書いた)しかし、行政のやれる範囲は狭まってきている。当然ながら、市民の意識が変わり、自主的に福祉的な役割を受け持つことにならなければ、社会自体が成立が揺らぐ。その為には市民の意識が変わる必要がある。自分達の社会をどう組み立てるか、自分達からなにを受け持ったらいいか、問題意識が生まれる必要がある。今、酒匂川の川辺で暮らしている人たちが、移動するように言われている。江戸時代の加賀藩では、長崎で追放になった、キリシタンの人たちが預かりになる。そして、犀川の河原に住むことになる。金沢の庶民は受け入れて、ドジョウを採って売る仕事をすることになる。周囲の農家の許容度が大きかったのだろう。そうして今でもドジョウのかば焼きが金沢の名物である。住む所と仕事を作り出す知恵の暖かさ。